「…フィアス!酷いねお前。こんなに可愛いフィアスに傷をつけるなんて」
シュルはその瞳に敵意を滲ませながらミミクリーを睨む。その姿はさながら獰猛な獣のようで、ミミクリーの背筋を冷たいものが走った。
「こんなことされたらもうゆっくり、なんて言ってられないね。全部ぐちゃぐちゃにしていいよ」
床を鞭でバシンと叩けばフィアスはミミクリーに向かって走り出し、彼女の右足に噛み付いた。
「くっ……う゛ぅ゛…………は、離せ……!離せよ!」
片脚をフィアスに噛み付かれたままでは動くことができず、なんとか抵抗をしようとするも痛みで上手く力が入らない。彼女が味わうのは、到底今まで感じたことのないような激痛。
「あはは!哀れだね、そのまま噛みちぎっちゃえ」
動く度に肉が食いちぎられるような痛みに苦悶の表情を浮かべながらも、ミミクリーの頭は必死にどうすればこの痛みから逃れられるかを考え続けていた。
震える手にはまだ縋るように鎌が握られている。
ここで死ぬのは嫌だ。頭の中でそう唱えれば、自分でも力を振り絞れる気がした。
鎌の柄でフィアスの眉間を狙って叩きつけようと試みると、回避行動をとるべくフィアスは離れる。
虎の牙から開放されたミミクリーは、荒い息のままフィアスとシュルを睨みつける。
足は痛みに痺れ、全身の震えも収まる様子もない。
それでもその手の大鎌を振り下ろし、虎に新たに傷を与え続ける。その姿は普段の怠惰で不遜な態度が目立つミミクリーとは別人に映るかもしれない。
「可哀想に…さっさとコイツを喰って。手当てしてあげるからね」
しかし、相手が何であろうとシュルは負けられない。
これはウィッチ・ゼロトリーに任されたショーであり、このサーカス団では皆がその技術に長けているのだ。
フィアスの方を見やると、目は未だ力強く標的を見据え、次の命令を待つように構えている。
頼もしいのその姿にすこし安心する。
小虎としてやってきた時と比べて随分と成長した?いいや、自分が手懐け、教え、鍛えたのだ。ただの小虎を、人喰い虎として。
血で白い手袋や衣装が汚れるのも構わずに毛を撫で、先程噛み付いた脚を喰いちぎろうとまたフィアスを突進させた。
「グフッ…………オェッ…………ゲホッ………!」
ミミクリーは思わず血を吐き、余程体力が消耗しているのか意識は朦朧としまともに立つことすらできない。
このまま倒れてしまえば楽だろうに、彼女はそれをしない。懸命に生きる為に、立ち続け、ついにはフィアスの腹が刃先で掻っ切った。
「このッ…自分で戦いもしない卑怯者が……!ボクが…………ボクが抵抗のひとつもできない出来損ないだと思うなよ……」
血を流しながらもフィアスは怯む事なく、ヒトの柔肌に向かってその牙をむき、ミミクリーはその口を裂くべく鎌を振るう。
しかし、その鎌は見当違いの方向の空を切った。
「何も出来てないけど?」
意識が遠のくのも当然、動脈を噛まれた足は既に大量の血液を流していた。
ぐらり、体が傾く。
そしてそのまま、左足から重たい軋轢音が鳴る。それが骨が折れた音だと気が付くまでそう時間はかからない。骨を砕いた牙は無慈悲にもそのまま肉を食いちぎり、咀嚼を始める。引っ張られた足はあらぬ方向へと曲がって大腿骨が脱臼しても、フィアスが手を緩める気配はない。
「イギッ………………熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い
あ゛ぁ゛
や、やっ、やめ……ボ、ボクの下半身が…………?
そんな、なんで、なんで、」
次は腰に噛みつき、腹にも牙の先を沈めると皮膚とと臓器の境すら破ってゆく。
フィアスは口元から血を滴らせながら、臓物を引きずり出して観客席にも見せつける。
その姿に、ようやく理解した。
自分の命は、見世物として消費されながらここで終わるのだと。
「ボ……クまだやり残したこと……いっぱいあったのに…………まだちゃんと………………」
「嫌だ…………こんなボクでも…………し、死にたくない!
ずっとずっとずっと消えてなくなりたかったけどまだ死にたくない!ずっと生きてたい!でもそれも叶わないのならせめてボクのこと覚えていてほしい……
それにまだ2人に何も言えてない!何も返せてない!」
ショーは続く。
自分の苦しみ、悲しみが鑑みられることも無い。
ここで何を言っても、サーカス団達にはただの舞台の上の出来事として終わってしまうのだろうか。それでも、一人の人間として止まれなかった。
観客席にいる二人に、少しでも何かを伝えられるならば。
そう願って、必死に手を伸ばす。
「せめて…………せめて最期に…………マーシャとローレルに…………マーシャ、ローレルずっと言えなくて、だから最期にこれだけでも伝えたくて
ボクは今も昔もマーシャとローレルのことが……だ……」
顔を醜く歪ませながらも最期の力を振り絞ったのも束の間、フィアスが残りの肉を求めて頭からミミクリーにかぶりつく。
二人に伝えたかったであろう四文字の代わりにゴリッボキッと頚椎が折れる音がテント内を響き渡った。
フィアスが食事を終えると、シュルは再び胸に手を当てお辞儀をする。そして自身の勝利を讃えるよう、拍手を要求するように両手を高く掲げた。
咄嗟に拍手を出来る者など誰もいなかったことだろう。
ミミクリーだった肉塊を食らう獣の咀嚼音に耳を塞ぐ物さえ居た。が、それをサーカス団が許すはずもない。耳を塞いでもなお頭を埋め尽くす、拍手、喝采の声!
シュルを称えるサーカス団員達の笑顔!
そこでようやく、クローン達はどうやら彼ら、サーカス団は本気で人間の殺し合いをショーとして披露していると知る。
彼らは正気では無い。心臓が激しく脈打ち、冷えきった指先が痺れてゆく。
何故このようなことが起きているのかも、どうしたらここから逃げ出せるのかも検討がつかない。
嫌に回る頭と裏腹に、体は凍りついたように動かなかった。
「皆様いかがでしたでしょうか!余韻が消えぬうちに次回公演の予告をさせて頂きましょう。次のショーは─────……」
そこで客席の方を見たゼロトリーは不気味に微笑む。その先には、必死にステージに降りようとしていたローレルの姿があった。
「ミスター・アングレカム、貴方にいたしましょう。対するは、我らが誇る投げナイフの名手、P.N.G!
これをもちまして第一公演を終了させて頂きます。お忘れ物のないようお気をつけてお帰りください。
それではまたの夜にお待ちしております!」
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