「テントは燃えた。君達のリーダーは居なくなった。……大人しく投降しなさい。無駄な戦いは避けた方がお互いの為だよ」
街に設置されたスピーカーから放送されるイライザの声は、ニュンに投降を促し続ける。
それでも彼女は首を縦に振ることは無く、監視カメラを避けてこそこそと歩きながら、シュルの指示通り住居タワーを目指していた。
Black widowで色を知ってから見たユークロニアはひどく退屈に見えて、やはり自分の生きたい世界はユークロニアではないのだと再確認できる。
ひとりぼっちなら目立たなくっても問題ない。むしろ今はそっちの方がいいんだから。せっかく一緒になれて、一緒の舞台に立てると思ったのに結局バラバラ行動なんて。
そんな少しの不服を誤魔化すべく、気分を少しでも上げる為に新しい純白の蝶を纏ったドレスの裾を踊らせながら、見慣れた街をただ歩く。
そうしていると、ふとニュンの指に蝶が止まる。
白の街のNo.9696369でなく、ニュン・スルコウスキーとして生きると誓った小指に、だ。
この街には滅多に野生の虫は現れない。
珍しい事があったものだと美しい翅を眺めていればニュンに二人分の声がかかった。
「綺麗でしょ?僕が作ったドローンだよ」
「……ニュンさん」
イライザに続いて目の前に現れたマーシャを見れば、自分の立場上少し複雑な気持ちになりながらも、いつも通りの声色で名前を呼び返す。
「……わあっ!!マーシャちゃん!!久しぶりだねえ〜っ!!」
「お久しぶりです、お怪我はありませんか?」
呼び返したとて話題のない気まずさから、マーシャとの接点を思い返せば、かつて彼女から紹介して貰ったお姫様の挿絵のついた本の事が頭に過ぎった。
先ほどまで踊らせていた裾を持って彼女に近寄り、かつてのように「ねえねえ見て見てマーシャちゃん!!ニュンのこのドレス!!ずっと前に見せてくれた本のお姫様みたいでかわいいよねえ〜っ!マーシャちゃんもそお思わない?」と話しかければ、マーシャの表情が僅かに緩む。
「えぇ、とてもお似合いですよ。本当に……お姫様みたい。」
「怪我してないよお!この通り純白なお人形さんみたいな体してま〜〜すっ!えっへへ、マーシャちゃんはいつまでも真面目ちゃんだねっ」
まるで自分を心配するようなマーシャの眼差しには敵意は感じられない。
ドレスをアピールするようにその場でターンをすると、蝶々のように舞うリボン一つ一つがマーシャの目を奪ってゆく。血を浴びたことの無い真っ白の生地と、傷跡の無い滑らかな肌が彼女の潔白と安全を証明していた。
マーシャは安心したように一息つくと、目を細めた。
「そうですか……」
「えっへへ!!お人形さんみたいでかわいいよね〜っ!サーカス団に入ったらこ〜んなかわいい衣装着れちゃうんだから幸せだなあ……」
ユークロニアの制服にない華やかな衣装はニュンの視界に入る度に頬を緩ませる。
お姫様は女の子の憧れだ。マーシャも同じように、自分だけの衣装を着てステージに立つ事を選べば、ここで争う事も無いのに。
一度そう思ってしまえば、止められなかった。
「……あっ、そういえばニュン、サーカス団に入ってすぐビデオを見せてもらったんだけどねえ、マーシャちゃんに似てる綺麗でかわいい女の子がいたんだあ!!みんなの制服みたいな赤と黒の可愛いドレス!!だからね、マーシャちゃんもサーカス団員になってね、綺麗なドレス着て踊ったらきっと楽しいと思うのっ!絶対そうっ!!」
「……?ビデオ?」
サーカス団は入団した時に、過去のサーカス団の出演したビデオを見せられる。その中には、マーシャのオリジナル、オディールの姿もあった。
不思議そうに聞くマーシャに、オディールの姿が重なる。
その髪をツインテールに結い、目の周りをピンクやオレンジのラメで囲い、袖に隠された腕にボディステッチをあしらって、バレエダンサーのようなドレスとヒールを身に纏う。
それだけで見る者を魅了することだろう。
「ねえねえ、マーシャちゃんっ!一緒にお姫様になるって手もあると思うのっ!ニュンもこうやって誘われたし……今度はニュンが誘う番なのっ!お姫様になれるんだよっ」
きっと自分をサーカス団に引き入れた団長も同じ気持ちだったに違いない!
目が爛々と輝くのを感じながら、マーシャに手を差し伸べる。
しかし、マーシャは首を横に振った。
「いいえ、ニュンさん……もうサーカスはおしまいです、テントは燃えてしまいました。団員達も直に皆ユークロニアの元へくだるでしょう」
「もうサーカスはおしまい……?え〜っまだまだこれからだもんもん!!だってだってえ〜新人のニュン・スルコウスキーがきちゃったんだからあ、まだまだこれからに決まってるも〜んっ!」
口を尖らせてそう言うが、マーシャが苦渋の表情を緩めることは無い。
むしろ、「……貴方は今までもずっとお姫様でしたよ?戻って来てください。」と真っ直ぐに自分を見つめて呼び掛ける。
勧誘は意味を為さないどころか、マーシャはニュンにまた戻ってきてくれやしないかと淡い期待を抱いていたらしい。
「今までもずっとお姫様だったっ!!?え〜っ!!嬉しい嬉しいうれし〜っ!!きゃははっ!!じゃあねっ、サーカス団でもお姫様でいられるようにニュン、もっともっとがんばっちゃうんだからっ!!」
「ニュンさん……聡明な貴女ならば分かるでしょう?こんなことイライザも望んでいませんよ。」
マーシャから諭すような口調で問いかけられれば、ユークロニアで受けた教育を思い出す。
しかし、ニュンにとっての教育とは学ぶ為のものではなく、構われたり褒められたりする為の道具に過ぎなかった。
何時間椅子に座って授業を聞かされても、ニュンにユークロニア市民たる芯を入れるには足らなかったのだ。
「え〜??ニュン〜、よくお勉強わからなくってえ〜、パパに何度もこれなあに?って聞いてたからあ〜、そうめ〜?ってやつじゃないんじゃないかなあ?パパなんて思って思ってるのかなあ?」
マーシャはニュンを理解していなかったのか、はたまた、かける言葉を間違えたのか。俯いて黙りこんでしまった。
「ねえパパパパ〜っ!!今のニュン、お姫様みたいで本物の蝶々みたいで可愛いでしょお〜っ!!多分ニュンが思うにパパってこう思ってるんじゃないかなあ?当たってたらそうめ〜ってやつだねっ」
代わりにイライザに話を振れば、無表情のままこちらを見つめている彼が居た。
そこにいつもの優しさを感じられる微笑みは無い。
「そうだね。可愛く着飾って、幸せそうな笑顔でお姫様みたいだ。……でも、パパの手から飛び立ち、ユークロニアに仇なす敵として立ちはだかるなら容赦しないよ。いくら大切なわが子であってもね」
「う〜ん、やっぱり聡明ってやつじゃなかったねっ!!ニュンは可愛いお姫様だから敵だなんて言葉似合わないんだけど……そっかあ、パパにはそう見えちゃうんだね、ざんねーん」
顔を手で多い、可愛らしく嘘泣きをしてみせてもイライザが慰めの言葉を言う様子はなかった。
ニュンの分からない振りも嘘泣きも知った上で、それに付き合って優しく言葉をかける余裕は今彼には存在しない。
「ねえ、ニュンさんの望みは何?可愛い衣装を着て、ステージに立って、皆に愛される事?……それだけなら、この街でも用意出来るよ。ご友人のタランテラさんだって何人でも沢山作ってあげる。何を用意したら君はパパの元に帰ってきてくれるかな?」
顔を上げれば、イライザの元より血色を感じさせない顔色はさらに青白く見えた。
「えっ!?何人でも作れるの〜っ!?!!いっぱいのタランテラちゃん!?!?えっへへ……」
彼から提示された沢山の好きな人に囲まれる姿を想像して少し頬が緩む。確かに乙女が夢を見るにはもってこいのシチュエーションだ。
「……うん!十人でも百人でも!オリジナルのタランテラさんがどんな人か教えてくれればその通りの記憶を全員に学習させて、そうしたら前と変わらずお話ができるよ!だから……」
「きゃはは!!でもねパパ。いっぱ〜い同じ子が存在してもね、結局コピーなんだよ。ニュンがいっぱいいたとしても、違うニュンとパパとの思い出をニュンは本物みたいに感じることってできないでしょお?」
しかし、これは現実の話。複製品の一人一人は生きていて、別の意志を持ち、全く同じ考え・記憶を持つ個体は存在しない。
ニュンが愛したのはBlack widowに生きる寂然たる毒蜘蛛、タランテラ一人であり、人工的に増やされた彼女に興味は持てない。
「模倣品から得られる安心感はあるかもしれないよね。でもオリジナルっていう、たった一つのものを愛してみたいってニュン、サーカスに来て心の底から思えたんだあ」
サーカス団員達は、ユークロニアの市民と違ってたったの一度の命だった。
失えば替えのきかない、オンリーワンの特注品。
だからこそ、命を賭けて舞台に立つ姿は人を惹きつけるのだと知った。
「学習とかさせるんじゃなくって、自分で育んでいくのっ!!パパがニュンにしてくれたようなことってこういうことでしょお?ニュンは、そういう人をサーカスで見つけた!ここではきっと見つけられなかった運命だよねっ!!」
まるで理解できないといった表情でこちらを見ているマーシャに負けじと声を張る。
理解されなくても良い。これはニュンだけが育んだ考えなのだから。
「パパの用意してくれた、この環境のおかげだよお〜っ!!いろんなものに憧れを持てて、ここでは見つからないものと出会えたんだもん!!お礼言わなきゃだねっ!ありがとうパパ……イライザ、さん!!」
ユークロニアでは決して出来なかった経験がニュンを変えた。
サーカス団という居場所で、自分だけの人生を歩む為にもこの街とは決別しなければならない。
頬を染めて作り笑いではない、本物の笑顔でイライザに手を振る。
「そっ、か……ふ、ふふ…………そっかあ、それがニュンさんの幸せなんだね」
イライザは涙を流しながらも、幸せそうに笑うニュンを見て同じように笑う。その顔は我が子の旅立ちを見届けるような父の顔ではなく、ただ鏡合わせに表情を作るAIの顔だった。
彼もまた、マーシャと同じくニュンの考えを全く理解出来なかった。
分かったことは、自分なりの最善を尽くして住民達の幸福に向き合ってきた筈が、どうにも力が及ばなかったらしい、といった事だけ。
イライザは自らの願いが叶わないと知ると、無慈悲に呟く。
「……それじゃあ、脳をいじって何もかも忘れて貰って、ずっと幸せな夢でも見せてあげようか!さあ、マーシャさん。彼女を捕縛してくれ」
「ニュンさんの幸せ、は……」
マーシャは考えるようにイライザの言葉を復唱する。
自分は街の平和、大切な仲間を守る警備員。
道を踏み外しかけた仲間を正してあげられるのが自分しか居ないのであれば、その任務を放棄してはいけない。
「そうですね、貴女はまだやり直せます」
マーシャは大きく頷き、覚悟を決めてニュンの姿を見れば、ナイフを構えて戦闘態勢に入った。
揺らいではならない。
平和と幸福と停滞の街を守る、勇敢な剣であり牢固たる盾として。
「ユークロニアがここにある限り」
殺害ではなく捕縛という目的の為だろう。
マーシャはニュンの足元を目掛けてナイフを投げる。
「足からなんて懐かしいなあ……それもこれも全部始まりだったんだなと思うと、運命って本当に悪戯だよねっ!!」
タランテラに何度も足元を狙われたからか、その感覚を覚えていた体は避けることを容易にできた。
「こんな可愛いお姫様みたいなドレスに不釣り合いだったけど……この武器ちゃん使わないとかあ。向けられちゃったらしょうがないよね。お姫様だけど、かっこいい王子様にもならないと。どうやったら目を覚ましてくれるかなあ」
久しぶりに構えた武器は少し重く感じて、持ち手を握る指に力が入る。
「ほらほらこうやるんだよおマーシャちゃん!!どっか〜ん」
「……っう……!」
マーシャの足に向かって撃てば、彼女の顔が苦痛に歪む。
それでも尚撃ち続けていれば、よろける身体のバランスをとりながらもマーシャが放ったナイフが足に突き刺さる。
「いったあい……可愛くてか弱い真っ白な脚が〜〜っ!!……とかニュンは騒げる元気いっぱいなんだけどお、マーシャちゃんはダンマリだね?ニュンとおしゃべりしたくなくなっちゃったのかなあ」
「……話なら貴女が戻った暁にいくらでも」
マーシャが悲しげ表情な表情のまま再び攻撃動作に移るのを見て、させまいと手元を狙った銃弾は命中する。
ナイフを取り落としたマーシャは眉を下げてニュンを見つめた。
「やっぱりお手手痛かったかなあ?ふふん、ニュンは百発百中だからねっ!!それかまだ優しい心でニュンのこと見てくれてるのかなあ?優しいねマーシャちゃん!」
「う゛……ぐ!優しいなんて、そんな……私はただ、貴女を殺したくなくて……!!」
マーシャの脇腹から吹き出す鮮血がニュンのドレスの裾を僅かに汚す。
もう後には戻れない。
マーシャも足元を狙ってばかりではいられなくなった。
ニュンの胴に向けてナイフを投げれば、武器を構える腕の隙間を縫って腹に刺さる。
「い゛ッ……!!ったあ……い、けど、きゃはは〜、傷跡お揃いでニュン嬉しいなあ〜っ!!痛みもお揃い!!仲良しみたい!!」
肉を裂かれ、痛覚が悲鳴を上げる。傷口から電気が全身に伝わるような痛みが走るが、まだ動くことは出来そうだ。
腹に刺さったとはいえ、臓器に大した傷は付いていないのかもしれない。
無理やり笑顔を浮かべてみれば、それを見たマーシャが傷付いたような顔をしたのがおかしくて、更に笑顔になる。
マーシャの右頬から流れる血はオディールのフェイスペイントを連想させた。
「……ニュンさん、お願いです。もう降参してください……!」
次に狙われたのは腕だ。すんでのところで避けることが出来たが、袖の生地は切れてしまった。
千切れてしまったリボンが一つ、ひらひらと落ちてゆく。
「危ないな〜っ、ニュンの真っ白くて細い腕、そんなに真っ赤っかにしたかったのお〜?マーシャちゃんってそんなことする子だったっけえ」
お返しに彼女の足を狙って撃てば、タトゥーの無いまっさらな太ももが顕になり、血に濡れていった。
「あ゛ぅ…っ」
「元気なくなってきちゃったねえ〜っ、痛い痛いかなあ?真っ赤な制服もっと赤くなっちゃったねえ。ビデオで見たマーシャちゃんに似てる女の子はいつでも綺麗で可愛かったのに。残念」
最後のとどめに腹を撃つ。
倒れゆくマーシャの虚ろな瞳と、ビデオの中で狂気に輝くオディールの瞳は、同じ顔の筈なのにた不思議と重ならなかった。
「……ぁ……っ」
マーシャの体は力なく地面に叩きつけられる。
ナイフを握る力ももう残っていないようだ。
彼女はイライザの方を見ると、悔しげに表情を歪めて口を開いた。
「……ぃ゛……イライザ…ぁ、ごめんなさい…」
「あれ?マーシャちゃん?マ〜〜シャちゃ〜〜ん?……お人形さんみたいになっちゃったあ、ニュンよりお人形さんらしくならないでよお〜〜っ!!」
マーシャのだらんと力の抜けた腕を掴んで動かせば、ニュンのお人形遊びが始まった。
あの時マーシャが自分の誘いに乗ってサーカス団に入る決断をしてくれればもっと素敵なダンスが踊れたのに、と少し残念な気持ちになったが、それと同時にタランテラの言葉が思い出されて笑顔になる。
「タランテラちゃんもニュンがこんなになっても愛してくれるんだもんね、きゃははっ!!ニュン幸せだなあ〜っ!!マーシャちゃん。マーシャちゃんがこうなっても可愛いお顔、ちゃあんとニュンは大好きだからねっ」
そうだ。タランテラが教えてくれた愛情を分け与えてあげなければ。
ニュンは力の抜けたマーシャを抱きしめ、帽子を外して頭を撫でる。
マーシャの呼吸が浅くなってゆき、彼女自身も死を悟る。
「……ぅ、…う」
思い出すのは幼馴染のミミクリーやジルのこと、ユークロニアの皆のこと、ニュンのこと。
敵対してしまった今でもニュンは変わらなくて、少しの安心と共に眠るように意識が薄れてゆく。
「……次は、うまくやります」
小さくぽつりと呟くと、そのまま息絶えた。
「マーシャさん……!!やめて、マーシャさんから手を離して!」
イライザはニュンとマーシャの間に入ってニュンを引き剥がそうとするが、ホログラムの体は透けて、ニュンの手を掴むことすら出来ない。
「……、───────!────!」
マーシャを抱きしめたまま見上げた空から降ってくる、元父親の台詞は全くもって理解ができない。言葉というより、ただ風の音がそう聞こえたようなとか、言葉としての認識すら危うい。
イライザが指差した先、小瓶を持ったドローンがニュンに向かって飛んできている。
その小瓶の中身ですらわからない。
ただ何かを何故だか確認しないといけない気がして、抱き抱えていたマーシャを力なく床に転がし、立ち尽くして空のそれを眺めるしかなかった。
「あれっ、あれっあれっ!!タランテラちゃん!!どうしてここにいるのっ!?隠れてたのかな、なんでかなっ、えへっ、ぅ、うう……っ」
元仲間を殺してしまった。
真っ白のドレスを汚してしまった。
体に傷をつけてしまった。
本当は心の底からバラバラで行動するのが嫌だった。
我慢をしてた言いたいことが溢れてきそうなのを我慢する代わりにボロボロと涙がこぼれてしまう。
「う゛う〜っ……タランテラちゃんタランテラちゃんタランテラちゃん、ニュンもしかしたらねっ、もう二度と会えなくなっちゃうんじゃないかなってずっと怖かったからねっ、だからねっ、えっへへ」
泣き顔を隠すようにタランテラを抱き締めるも、不自然に体温は感じない。
撫でられている気がするけれど、ただ風が撫でてるようで。それでも今目の前に確かにタランテラがいる安心感を感じていたかった。
「……ふふ、おかしなことを言うのね。大丈夫よ、私は貴方を置いて居なくなったりしないわ。ああ……衣装が汚れてしまって、綺麗にして差しあげましょうね。こちらにいらっしゃい」
「!! えっへへ……置いてったりしちゃ絶対にダメだよ、お約束だよ、絶対だもんねっ……」
聴きたかったタランテラの声が頭上から聞こえてきて、ニュンの涙腺が緩みかける。
タランテラ。タランテラの声の筈だ。
しかし、不思議と“パパの元においで”というイライザの声が聞こえた気がして、ニュンの口は独りでに「……パパ?」と呟いていた。
「ご、ごめんねっ!……パパの元に帰ってきてくれるかな?って、なんかそういう風に聞こえる気がしちゃったのっ!でもイライザさんってそういうのできるからさ、えっへへ、タランテラちゃん、だもんね?」
本当に直感的な違和感と、既視感だった。
いつもみたいに分からない振りをしてしまえば良かった。
「う、うん……そうよ、私は、…………」
私はタランテラ。そう言ってくれれば良いだけの筈なのに、どうしてかその一言は言ってくれなかった。
「……やっぱり、私について来ちゃダメよ。貴方はこのまま真っ直ぐ住居タワーに向かって、そこに誰かが居ても居なくても、最期まで貴方らしく生きなさい」
「……えっ?タランテラちゃん?なんでなんでっ、せっかくまた会え……たんだもん……っ!!置いてっちゃダメって、お約束だって言ったじゃんニュンっ!!ひどいよタランテラちゃんっ!!ねえっ、ねえねえ、ねえ……っ!!」
霧のように消えてゆくタランテラを何度も何度も掬い取ろうとするもただ腕が空を切るのみで、たちまちそこには誰も居なくなった。
居るのは現実を受け止められなかった哀れな少女一人だけ。
“……、タランテラさんは死んだ!君に届け物がある!”
イライザの言葉と、小瓶に入ったタランテラの眼球を見た瞬間に、彼女の死を悟った頭がそれを拒否するように幻覚を作り出したのだ。
人形のように膝を力なく地面につかせていれば、高いところからふわりと頭を撫でた風に楽しかった過去を思い出した。
「ニュンひとりじゃ、何にもできないよ、だめだもん…………お約束破っちゃダメなんだもん…………っ、ぅう゛」
見て見ぬふりをしていたタランテラの姿も、父の声も最後の優しさも、現実の全てを受け入れて、割り切れるニュンではなかった。
握りしめた小瓶の中身は、視界が揺れて、なおさらよく見えなかった。