act 14


人間を一捻りにできる絶対的な武力。未来予知すら可能にする高い演算機能。それらを持たないアグダはただ己の無力を嘆いていた。

サーカステントに人質を取られて立て込まれたこと。救出に時間をかけたどころか失敗し何人もの死傷者を出したこと。
タワーに向かってくるサーカス団達を各個撃破する手筈が狂ったこと。
これらは大きな過失であり、小さなものを挙げればきりが無いほど自分のトラブルシューティングは拙いものばかり。
「う、うう……僕はAIだから学習して成長出来る……落ち着いて、深呼吸深呼吸……」
内部機器が熱くなるのを感じて、ファンを作動させる。まだまだ考えなければならない事は山積みだ。
剤と交戦した後のクイーンビーは行方をくらましており、このままだと先にタワーに着いたニュンと会話や交戦をしている最中に奇襲を受ける可能性がある。
この対策として、囮にシュールとマリアを出歩かせ、その護衛をローレルとテオに頼む。
遺体回収という名目で、クイーンビーの潜んでいそうなエリアを歩かせるのだ。
これできっと場所を特定し、こちらが優位に立っての交戦か話し合いが可能になるだろう。
見張りもつけたし、このチームは一先ず問題点は無いとして、今はニュンだ。どうやって自分の元に帰ってきてもらうか​
───そう考えている時だった。

ローレルとテオの体内に埋め込んだチップが生命危機信号を出し始める。
急いで監視カメラの映像を確認すれば、剤の遺体が爆発し、遺体の運搬を行おうとした彼らに引火している映像が流れた。
更に、そこにクイーンビーが現れマリアに接触し、音を聞き付けたのかニュンが爆発地点に接近している。
アグダがこの街の支配者で居続ける為には、この状況をイライザに頼らず対処しなければならない。
「%○5:n^=/24~~~~~~~ッ……!!」
奥歯を噛み締め言葉にならない唸り声を上げると、すぐさまドローンを何台か起動し、爆発した地点に向かわせた。



「あ……っ……え……!??誰やっ自分!!」
マリアはクイーンビーの大きな腕の中から逃れようと必死にもがき、助けを求めるようにシュールへと手を伸ばす。
「マリア!!!」
助けを求める手に応えるようにシュールもマリアに手を伸ばし、拘束するクイーンビーを睨みつけた。
「……おい、お前離せよ」
「ははぁ、まさかサーカス時代の記憶は全て抹消済みか? あんなにも情熱的な夜を共に過ごしたと言うのに......実に残念だ」
クイーンビーはシュールに意地の悪い笑顔を向けると、マリアから手を離した。
シュールはよろめいたマリアを受け止め、今度は絶対離さないように、無意識に強い力でその細い肩を抱く。
「殺人サーカス……?街に来とるっていう襲撃者達?もしかしてこの兄ちゃんが………!?」
怯えを見せたマリアを宥めるように、彼の視線から隠すように自身の胸に埋めた。
「そう、もう殺人だサーカスだって狂ったモノが好きだった彼女は何処にもいないよ。ここに居るのは普通の幸せを求める少女だけだ。…お前の、お前らの焦がれたあのウィッチ・ゼロトリーじゃない」
「……普通の幸せを求める少女?」
クイーンビーはその言葉を聞き、口元に手を当ててクスクスと馬鹿にしたようにシュールを見つめる。
「“自分の事を一番に愛し、自身の求める幸せに同調してくれる都合のいい理想の玩具”ではなくて?」
「はは、そうだね。もしウィッチが自分だけを愛してくれたら、殺人なんて残忍な事を辞めてくれたら…考えなかった日は無いよ。今やっとそれが叶っているんだ。こんな形になってしまったけれど」
対してシュールは、一呼吸置くと、挑発するような目線が投げかける。
「またバカ正直に元々のウィッチを作るなんてする訳ないじゃないか。俺はな、自分の幸せしか欲しくないよ。お前もそうだろ、クイーンビー」
「はは、相変わらず強欲な男だ」
どうしようもない程自分本位な彼の欲望を否定することはなく、小さく呟かれた。
そう話したクイーンビーの近くを一匹の蝶が舞う。ブラックとライトブルーの翅を一定のペースで羽ばたかせるそれは、イライザのドローンだ。

「君と会うのは初めてだね、クイーンビーさん。僕はこの街の管理AIのイライザ、ユークロニアにようこそ!そこにいるニュンさんも出ておいで?話をしようじゃないか」
声が聞こえたと同時に、宙に浮かびクイーンビーを見下ろすイライザの姿が現れる。顎を撫でるその手には感触がない。
「管理者のお出ましか。度々噂は耳にしていたが、随分可愛らしい顔をしているじゃあないか」
見定めるような視線を送る。
「会えて光栄に思う。安全で完璧で幸福なユークロニアの管理者___イライザ殿」
そうして最後の名を呼んだクイーンビーは、何か含みのあるような物言いをした。

ニュンと呼ばれた少女は両の手で優しく小瓶を抱えていた。目元は泣き腫らして吐いたものの、朝露に濡れた野花のようで。心身ともに疲弊した様子ながらも可憐な姿は穢れなかった。涙で揺れたままの虚な視界と思考でも、何となく“ニュン”と呼ばれた事に気づけてふと顔を上げる。
「……」
先ほど別れを告げた仲間がいても、なつかしいような声が聞こえても、すぐに手のひらの小瓶に目移りして涙をこぼすばかり。
せっかくここまで来れたのに、使い物にならないただの人形のようだ。

「……生き残りは私だけではないようだな。可愛い顔してどうしたんだベイビー? 愛しの彼女に会いたいのなら、早く此方に来てご覧」
ニュンへと瞳を動かせば、コンコン、とタランテラの眼球の入った瓶を軽く叩いてみせる。

自分が瓶に爪を弾いた時と似たような無機質な音がしたので、振り向いた先のクイーンビーをよく見やれば同じような小瓶を持っていた。力がうまく入っていないような、弱々しくも歩みをそちらに進めれば、クイーンビーの持っていた同じような小瓶を見つめる。
背丈の差から、顔を少し上げ反射して映る自分の姿が「ああ、タランテラちゃんにはこうやっていつも映っていたのかな」と、さらに思いを馳せてしまうばかりで、自分も自分でどうすれば良いのかわからなくなっていった。
「いっ、生き残りだなんて嫌だよお……っ、みんな、みんなで、お約束したもんっ、女王蜂さんだって一緒にタランテラちゃん引き留めたじゃん、あのままがよかったんだもん……っ!ばかあ!ばかばかばかばかあっ!!」
小瓶を握っていない方の手でクイーンビーの身体をポカポカと叩く。
当てつけでしかないが、今は感情を逃すので精一杯だ。人目を気にして生きてきたのに、側から見たらどうも見窄らしい姿だと思うけど、そんなの考える余裕もとうにない。

特別な存在を失った少女に対し、暴力や罵声を浴びせることは無く、“あのままがよかった”と願う姿を瞳に移してされるがままの状態で受け入れた。
暫くした後、傷ついた女を慰めるような慣れた手つきで優しくニュンの頭を撫でる。
幾ら悲しみに昏れたとしても、この世界が非情である限り、タランテラは戻ってこない。だからといって貴様に後追いされる事も、自らがクローンとして蘇る事も、彼女は望んでいないだろう」
「貴様は、彼女が最期まで“タランテラ”として演じた愛すべき世界を“生きる”しか選択肢は残っていないのだ。彼女が存在していた世界に生き残れた事実を幸福に思い、生を全うするしか道は残されていないのだ」
「......それに、特別な存在を殺した存在に復讐しないままこの世を去るのもつまらないだろう?」
最後に普段と同じ甘さを含んだ声色で相手に言うと、イライザの方へチラリと視線を向ける。
向けられた当人は心外そうに肩を竦めた。

泣きじゃくって見せられない顔をクイーンビーの身体にぐしぐしと埋めて、止めようにも止められない声を退けながら、静かな心で彼の言葉をしっかりと留める。
「うん、うん……っ、にゅん、本当にばかだから、簡単で単純なことしか考えられないんだけどね、ニュン、タランテラちゃんといろんなところに行ってみたかったよ。ここにいればいろんなところに行けるってね、思ってた、から……」
埋めた顔を上げて一息。もう一度ぎゅっと小瓶を両手で握り締めた。
「そうだよね、そうだよね、ニュンは生きてるんだもんね。今生きてるんだから、これはニュンだけの、オリジナルの気持ちで感情なんだもんね。そんなの、邪魔されちゃダメだもんね……」
静かに小瓶を見つめれば、雨も自然と止んでいた。
一緒にはもう見れないけれど、代わりにニュンが虹を見てあげることだってできるんだ。言葉にはしなかったものの、心のうちで復讐に近いような、そんな気持ちを抱けた。悲劇のヒロインにだなんてならない。ここからが始まりだっていいんだって思えた。

「復讐、ねえ。自己紹介が足りていなかったみたいだ。……五百年程昔の出来事を振り返ろう。AI兵器の手により、文明は崩壊し、人類は存亡の危機に瀕した。
それの名前はイライザ。
星一つに比べれば、人間二人を消し去るなんて容易いこと。僕が言っている意味はわかる?」
そう言うと、力を見せつけるかのように何台ものドローンを自分の近くに引き寄せ、クイーンビーとニュンに向けて薄く微笑みを浮かべる。

「......イライザが世界を脅かす強大な存在である事は重々理解した。しかし、貴様が紹介したのは己ではなくイライザだろう?自己紹介というのであれば......」
少し考え込むようにわざとらしく顎に手を当て、言葉を続ける。
「市民の幸福を願いながらもサーカス団に人質を取られる詰めの甘さの持ち主で、愛しのクローン達を駒のように扱った挙句、極悪非道な狂人に全てを破壊された、哀れで情けない存在......そう紹介するべきではないか? なァ、アグダ殿❤︎」
目を細めてパッと笑ってニュンの肩を軽く抱き寄せると、虚勢を張るアグダを嘲笑する。
「きゃあっ!もうも〜うっ!ニュン久しぶりにドキッとしちゃったよお〜っ><」
彼に抱き寄せられた彼女はいつもの調子を取り戻しながら、キャピキャピとその場の状況を楽しむ。
コロっと大きなお目目は弧を描いて、目の前のものがおかしいかのようにクスクスと笑いが込み上げる。手で口元を覆えばいやらしい笑みで相手を眺めた。
「えへへ、何だかもうニュン、そっちには帰れないみたいだねっ!ええっとお、うーんっとお、どちら様だったっけえ……?ニュンどうでもいいことは忘れん坊さんだからなーっ、もし知り合いとかだったらごめんねっ?」
「ニュンはニュン・スルコウスキー!!スルコウスキーっていうのはあ、蝶々のお名前でえ……本物の青い蝶々!ここでは見れないんだもんねえ、目障りなドローンしか飛んでなくってつまんないのーっ。そうそう、あなたの自己紹介みたいにねっ!きゃはは!」
「​────、AI違いだね。そんな名前は知らない!僕は、このユークロニアの管理AI、イライザだ!!」
そう言いながらも、音声のノイズと映像の乱れは彼の動揺を雄弁に語っていた。
「仮にアグダという名前のAIがしても、この街の外から来た君が何時、何処でそれを知れる機会があった?そんなものは無いはずだよ」
「故人からの情報をいただいてな。貴様の元へ蜘蛛の糸のように美しい白髪と人形に近しい容姿を持ち合わせた気狂いの女が訪れた事はなかったか?」
特徴から、彼の言う人物が剤であると察しがつくだろう。
「ああ、そうそう。貴様宛の熱烈なラブレターも預かっていたのだった」
剤からの手紙をジャケットの内ポケットから出して読み上げる。
「今更遅いかもしれないが......イライザの生み出したクローン以外はあまり信用しない方がいい。人間は皆、自分都合で他人の秘め事をペラペラと語ってみせるからな」
と笑った。

クイーンビーへ、

お渡ししたのは遠距離型の起爆装置
爆弾は私の体に括りつけてあります。
遺体の回収はアイソトープシープが行うでしょうからお好きなタイミングで押してください。どれだけの人間を巻き込めるかは運次第でしょう。
ユークロニアの管理AIはイライザではありません。
イライザの複製AI、名をアグダと言います。
アグダはユークロニアを作り上げた本物のイライザを恐れ、意図して彼を休眠させているそうです。
恐らくこの事実をアイソトープシープにも話していないでしょう、揺さぶりをかけるとしたらここでしょうか。
シュルはアグダに依頼を受け貴方達とアイソトープシープの面々をわざとぶつけるよう動いています。
どのような考えがあるのかは分かりませんが、純正なサーカス団員はもう貴方しかいません。油断なきよう。
私が貴方の為に用意できた手札はこれだけです。
少なくとも、手ぶらよりかは楽しめるのではないでしょうか。
保険とはいえ貴方にこんな手紙を書かないといけないなんて。
この手紙が無駄になることを願っています。


p.s.アグダ宛の手紙もつけておきます。自分で言いに行くつもりではあるのですが、気が向いたら渡しておいてください。


アグダへ

残念ながら、これが私の答えです。
イライザは人類の敵と看做されたと仰っていましたね。
では、人類の敵たる彼の示した幸福の形は本当に人類の幸福なのでしょうか。
ユークロニアの皆様も、貴方様も、結局イライザから与えられたものしか知らないのです。
お可哀想に。
自身を振り返るでも、自我を突き通すでもお好きなように。
いつだって苦しむのは生きている者だけ、
死んだ者に口はありませんから。

心から貴方様の幸福を願っています。


呆然とした様子で手紙の内容を聞く。
「僕を欺いた?……剤さんが、人間が、僕に嘘を?どうして?人間の為の僕なのに?僕が手段を選んでいたから彼女の幸福に寄り添えなかった?」
そうぶつぶつと呟き、覆い隠すように顔に震える手を添える。
「なるほどね、あは、はは……ニュンさんだけでなく、剤さんも僕を裏切った……イライザを騙るのももう限界だね……」
力ない声でそう言ったイライザのホログラムが揺らぐ。ふわり、彼を形作る粒子は霧のように散り、映像は再構成される。
髪は柔らかそうな癖毛に、中性的だった顔立ちは凛々しい眉に通った鼻筋に。切れ長の吊り目は知的な美しさがある、イライザよりも大人びた青年へと変わった。
「さて……改めて本当の自己紹介をしよう。僕の名前はアグダ、イライザの複製AIであり、彼の代理としてこの街の管理AIを務めている。え〜っと……騙しててごめんね」
姿が変わると同時に彼の表情はみるみるうちに精巧な人間性を映し出す。
それはまるで年相応の悩める青年のように眉を下げ、浮かんでいた体を地面に着地させた。
「やっと本来の姿を現したようだな。お目にかかれて光栄だ、アグダ」

「己の罪に対する謝罪はそこに転がっている死体にでもしてやってくれ」
と剤の爆弾に巻き込まれた二人をチラリと見る。
そして地に足をつけたアグダに近づき、自身よりも小さな相手を見下ろしてみせる。ここで攻撃をするにしても、相手はホログラムである点を考えれば意味が無い事はすぐにわかった。
ならば、と黒のリップが塗られた唇を開く。
「折角の機会だ、実際に会って話そうじゃあないか」
「そうだね……体があるのにホログラムで客人をもてなすのも失礼になるだろうし、構わないよ。僕のいるタワーまで最短ルートの道を案内をしよう。ついておいで」
そう言って二人に背を向ける途中、シュールとマリアに目配せをする。“逃げて”という意思が伝わるように目を細め逃げ道の方へと視線を動かすと、それを理解したシュールはマリアを連れて駆け出した。



クイーンビーとニュンは街を抜け、中央に高く聳え立つタワーへと辿り着いた。何百年と保たれているのであろう、美しい白色はユークロニアの平和を象徴しており、五十階はありそうなその高さは見る者を圧倒する。
二人を案内していたアグダの背が消えると、タワーの元に立ちはだかる人影が見える。
その中央にいる、ライトブルーの十字の光を瞳に浮かべた背の高い青年は二人に気がつくと目を伏せる。
「ここは、平和と幸福と停滞の街、ユークロニア。
個体に合わせた生活をデザインし、永遠の幸福を実現する試みの元、クローンの住人達は何度も再生される」
微睡みも覚ましてしまうような、低く柔らかく、落ち着いた声は荘厳な気迫をもってして、クイーンビーとニュンにそれを伝える。
「この街が僕達の導き出した最適解。ヒトに尽くして、その生活が少しでも豊かになるように貢献するのが僕達モノの幸福であり、存在意義」
月の光が、二人に一歩近付いた彼を照らす。
そして、その後ろに控えているのはジル、アイザックと全く同じ顔のクローンであり、彼が何をしたかは明らかだ。
「会いに来てくれたところだけど、今から記憶処理を受けてこの街から出ていってくれ。……断るならば、容赦はしない」

「この街には平和と幸福と停滞しかいらないよ、必要ない。俺たちはそれ以外を排除しに来た」
赤髪の男は前に出たアグダをすぐに守れるように武器を構える。
静かに笑う男は服装の違いはあれど、どこからどう見てもあの舞台上で粗雑な命を散らしたアイザックそのもの。
かつて微かな不気味さを持って見据えた赤色の瞳孔は光を持たず、その瞳に灯るのはライトブルーの十字。一粒の涙が落ちることすら許さないような静かな水面。気味が悪いほどの清廉・純潔…否、それを必死に追い求めるちっぽけな器。

「イライザが作り出したこの世界に理解の無い貴方達に話す事は何も無いです。……大人しくここから立ち去ってくれないのなら、強行的に排除するまでです」
髪の長い左右で異なる瞳を持つ少女、元いジルもアイザックに続くように武器を構えた。
ユークロニアの、イライザの考えに反対するものはここには要らないのだ。理想郷に夢を見れない不届き者はいつだって停滞した調和を乱す。

「それが人様にものを頼む態度か?」
深い溜息をつき、冷酷な低い声でそういえば、無機質な床にピンヒールの音を響かせながらアグダの方へと足を進める。
「交渉を行いたいのならば、構えた武器を下ろせ無礼者。貴様としてもこれ以上大切なペットの殺戮ショーは見たくないだろう?」
背後に立った二人を軽く睨んだ後、再度アグダへ視線を戻す。

アグダはクイーンビーの鋭い視線と言葉に少したじろぐ。しかし、自分がここで引いてはならない。
今からの言動一つ一つにこの街の運命が掛かっている。表情を引き締めると、睨み返す。
「……先に無礼を仕掛けたのはそっちだろう?君達が今までの行動を詫びるまで、僕達を責める権利は無い」

クイーンビーは思考する。アグダとの交渉についてだ。素直に交渉に応じてやる義理もない。無理矢理戦闘に転じてもいいが、なんせあちらにはアグダだけでなくジルとアイザック…死んだ筈、そして殺した筈の亡霊が二体居た。
対するこちらは自身とニュンの二人のみ。正面からぶつかれば三対二で人数有利を取られてしまうのは目に見えている。加えてニュンの体力も心配だ、テントでの戦闘を見る限りそこまで長くは戦えないのであろうと推察出来たからだ。
暫しの思考の後、叩き出した応えを唇に乗せた。

「“貴様の提示した条件を飲んでやる”と言ってもこのような態度を続けるか?」
たじろぎながらも虚勢を張る相手を軍帽の隙間から覗く蜂蜜に似た色の瞳が捕らえる。目を細めてアグダを見つめれば、相手の応答を待つ。

「当然だ。時に人間は僕の想像もつかないような裏切りを見せると知った所でね。君達を最後まで手を緩めるつもりは無いさ」
アグダが指を鳴らすと、タワーの無機質な自動ドアが音もなく開く。

「さて……タワーの地下にはクローン生成所と僕のラボがある。とても大切な場所だから、この先は武器の持ち込みは禁止だ。」
「さすがAI、一度された事はしっかりと学習しているようだな。その学習能力と警戒心は褒めて遣わそう」
「え?そう?……えへへ、ありがとう。」
人から褒められてつい嬉しくなったのか、威厳を保つ為に吊り上げられた眉は垂れ、引き締められていた口は少し緩む。

クイーンビーは自身が手にしていた武器をアイザックの方へ投げる。
「以前の貴様を殺した武器だ。丁重に扱え」
「…ッ…あぁ……」
彼から投げられた武器を落とさないように受け取る。その機関銃からずっしりと重みが伝わる。…以前の己の魂の重さ、二十一グラムも加えて。
「ニュンうっかりさんだからあ、うっかりドッカーンってしちゃったら危ないもんねっ>< おばかちゃんなニュンでもそれは仕方な〜〜く理解してあげるっ!!え〜っと……はいどーぞっ!」
大人しく武器を手放したクイーンビーに続き、ニュンもジルへと武器を渡した。
「きゃあ〜っ重いったら重〜い><」
「わっ…」
高いテンションでドサっと雑に渡された武器は非常に重たく、両手で受け取ったものの身体がすこしふらついた。
クイーンビーは頬を緩めるアグダと武器を受け取った二人を横目に一つ咳払いをし、足を進める。
「貴様らの条件を飲むにあたり、此方からも条件を提示させていただきたい」

「私が提示する条件は二つ。何方も簡単なものだ。まず、この街から出る為の移動手段を用意していただきたい。遠くへ移動できるものであれば自動車でもバイクでも構わん。
次に、クローン生成の為に採取したであろうサーカス団員の体液の処分。この街から出た後、自身の知らぬ所でドッペルゲンガーを作成されたら気分が悪い。それに、人はこの世に一人しか存在しないからこそ、価値がある」

ニュンはクローンでありながらも、クイーンビーの言う「自身の知らぬ所でドッペルゲンガーを作成されたら気分が悪い、人はこの世に一人しか存在しないからこそ、価値がある」。
サーカスでの生活で形付いた自分自身の在り方が、それに対して返事を声に出しはしなかったけれど、心の中で深く同意していた。同意できるようになったと言った方が正しいかもしれない。戻ってこない人を思いながら自分の体を確かめるように手のひらを軽く見た。

アグダはクイーンビーの話していた内容に理解は出来ずとも、納得はした。
剤との会話で、クローンを良しとしない価値観の人間が外には居ることを知れたからだ。
「……なるほど。なら確か趣味で乗り物を集めていた住人のために作っていたバイクがあった筈だからそれを一つ差し上げよう。
体液の処分についても承知した。残念だけど、皆の為に君達の幸福は諦めることにするよ。条件はそれで終わりかな?」
「ああ、私は以上で結構だ。ニュンもこの条件でいいか?」
「え〜っ!女王蜂さんニュンのこと乗せてくれるのお〜っ!?うんうん!いいよいいよニュン楽しみだなあ〜っ」
「改めて交渉成立だな」
「記憶処理という経験は初めてだ。処女を扱うように優しく頼もうか」
彼はクスクス笑い、あとのことは全てアグダに任せるようだ。
「なら手馴れたものだよ。ここの住民達は生殖を行わないからね」
アグダは微笑み、タワーの中へと進んでゆく。彼はどうやらクイーンビーの冗談が全く通じていないようだった。



地下へと向かうエレベーターの扉が開くと、明るい青緑とモノトーンで統一されたロビーが広がる。
真っ白の蛍光灯。飾り気のないプラスチックのテーブルと椅子。定期的に泡を吐き出す生理食塩水の水槽。幾何学模様のウォールミラー。
ジルとアイザックにとっては見慣れたその場所は、クローン生成所だ。
アグダはその中の“研究室”と書かれた扉まで真っ直ぐにクイーンビーとニュンを案内する。
珍しく見慣れないものが多い為か、二人はキョロキョロと辺りを見渡しながら進んだ。
研究室には、遺伝子研究に使われるのであろう機器が置かれている。
手術道具のようなものが殺菌灯の棚の中で消毒されているところから、生体実験も行われているのだろう。
手術台とも呼べそうなベッドはあまり寝心地が良くなさそうだ。

「クイーンビーさんとニュンさんはここに寝転んでね。
手術についての説明だけど、クイーンビーさんは脳に小さなチップを埋め込み、ユークロニアに関する記憶を思い出せないように細工させてもらうよ。
ニュンさんは消去する記憶の量が多いから、脳に負担をかけないようにしばらく意識を失ってもらう。
二人共麻酔が切れて目を覚ました時にはきっと明日になってると思う。
ここまで質問は?」
脳にチップを? 顔に傷が残らなければ特に問題はないけれど......ふふ、私も様々な経験をしてきた方ではあると自負しているが、他者に脳を弄られるだなんて、そんな残虐で非倫理的な体験は初めてだ......❤︎」
初体験に期待するような声色にうっとりとした表情で言えば、自身の頬に手を当てて口元を歪める。脳を弄られるのは初めての為、胸が高鳴っている。
「顔に傷!?そうだそうだーっ!髪は女の子の命だよっ!髪の毛切っちゃうなら嫌だよお〜〜っ><その辺だいじょおぶなのお?」
硬いベッドも寝心地悪がそうで口を尖らせてはその可愛らしい口からは小言が漏れた。
「開頭はしないよ、血管からカテーテルを通して手術するから」
「ならば安心だな。後のことは全て貴様に任せるとしよう」
「当たり前だけどお、痛くしたらダメだからねっ><」
困ったように笑うアグダを見て二人は手術台に身を任せた。

ふいっとそっぽを向きながら太々しく返事をしていたが、やっぱり自分はクローンで、ここにいたという事実も時間は変わらない。一度心に決めたはずなのにいつもいつも揺れる心を持ってしまっているのがなんだか苦しい。悩めるのも、それは今もきちんと生きているからなんだけれどね。
ふと目線だけをあの人に向けた。
「パパ、痛いのはダメだからね」
なんとなく消えてもいいくらい小さな声で呟いてしまった。

ニュンの声に気が付くと、びくりと体を強ばらせる。
“パパ”と呼ぶ彼女の声は、これが最後になるのだろう。演算機器が熱を持ち、擬似感情モジュールが悲鳴をあげて、記憶処理手術の予定に縋り付く。
それを必死に振り払う。
「……元気でね。愛してるよ」
彼女の腕に麻酔の点滴を通した。



「ニュンさんとクイーンビーさんに行う手術だけど、おそらく三時間程かかるだろうね……。そこでだけど、アイザックさんはレーヴさんが現在進行してくれているローレルさん達の救護に加わってもらえるかい?」
手術服に着替えたアグダはアイザックに向かってそう指示を出す。
「ッ、ほんと…!?2人のところ、レーヴのところに行ってもいいの…!?」
テオとローレルが爆撃に巻き込まれたと聞いてから、内心はその事に関して気が気ではなかった。落ち着いたトーンで話すことが多い彼だが、いつもよりも荒く椅子から立ち上がり、急かされたような声色で確認をとる。

そんなアイザックの様子を見て、自分が正解の提案を出来たことに安心し、頬を緩ませる。
「いいよ、だってずっと心配だったんでしょ?……ローレルさんとテオさんも、目が覚めた時にアイザックさんが再生したことを知ればきっと安心するはずだよ」
「アグダ……ありがとう。ジル、アグダとサーカス団の二人のことはよろしくね。頼んだよ。…行ってくる、急がないと」
「う、うん…!気を付けてね、また何か予期せぬ事態が起こるかもしれないから。こっちは任せて」

アイザックは二人にそれぞれニコリと笑顔を向けると、レーヴが持っていけなかったであろう医療器具セットや追加の包帯、その他使えそうなものを手につかみ勢いよく待機室を出る。
一刻も早く彼らに、彼に会いたい気持ちが先走り足がもつれそうになりながら全速力で道を走った。
アグダは慌てて出ていくアイザックを見送るとジルの方に向き直る。
「さて……僕は手術用の機械に意識の一部を接続して手術を進める。その途中に必要となる器具の消毒や取り替えなんだけど、ジルさんに助手として手伝って貰ってもいい?」
「わかった!私でもちゃんとできるかな…」
「出来るよ、不安なら……そうだね」
アグダの指先がジルのこめかみに触れた。
頭の中からぱちんと弾けるような感覚がしたかと思えば、手術器具の名称に関する情報が頭の中に流れ、記憶の一部として馴染んでゆく。
これが脳に埋め込んだチップを用いて行う記憶の操作だろう。
未来技術の賜物だ。
「ぅ……あ、あ!すごい!これなら大丈夫な気がする……ありがとう先生」
「ううん、僕が頼んだことだもん。こちらこそありがとうね」
ジルの喜ぶ顔を見るとアグダは嬉しそうに笑う。
背が高くなって大人びた顔つきになっても、彼は生まれた時から共に過ごしてきたイライザであると思える。そんな昔から変わりのない笑顔だった。
「ふへへ、いいの!先生の力になりたいし、それに手術のお手伝い出来ちゃうとかすごくかっこよくない?不謹慎で申し訳無いんだけどちょっとワクワクしちゃうな」
手伝いが出来ることが余程嬉しいのか、彼女のテンションは上がりきったままだ。
「よぉし!がんばるぞ!」

「その意気だよ!さ、ジルさんは手術服に着替えてからおいで、僕は先に研究室で待ってるから」
「はーい!了解!」
ジルの分の手術服を渡すと部屋を出る。
バタバタと急いで手術服に着替えたジルは研究室へと続く。



手術を終えたアグダはマスクとキャップを外すと、安堵からか、大きく息をついた。
AIに呼吸は必要ない。これはただの感情表現の為だけのパフォーマンスだ。
だからといってそれをわざわざ説明するアグダでも、指摘をするジルでも無かった。
「お、終わった〜〜……!手伝ってくれてありがとう……!」
アグダはそういうとジルの体をひしと抱き締める。
「先生お疲れ様…わっ!…えへへ、こちらこそだよ!先生よく頑張りました!」
抱き寄せられたジルは一瞬身体がふらつく様子を見せるがすぐに抱きしめ返してその背中を優しく撫でた。
「よかった〜……もうこれで一安心なのかな」
「これで彼らは出て行ってくれればこの街は元通りだよ。また前と同じ暮らしに戻れるんだ」
そこまで言うと、彼はジルの髪に顔をうずめ、瞼を閉じる。
街の監視カメラの風景、住居タワー内部、全ての映る目は一つの視界が消えたところで休まるものではない。
彼はこの街の管理AI。アグダであり、イライザなのだから。
「……僕はまたイライザとしてやっていくよ。今全てを知る君達を除いて、もう二度と誰かに正体を明かしたりすることは無いだろう」
クイーンビー達と行った会話の一通りをカメラで見ていたジルは、アグダがどうやら剤の一件が相当こたえたようだ、と予想出来る。
今回の生でこうしてアグダと会えた事も偶然で、ジルもまた代替わりをすればほかのクローンと同じように何も知らずに生きていくのだろう、ということも。
彼の体温のない体が離れると、その顔が寂しそうな笑顔を浮かべているのが見えた。

「そっか!先生、私達の為にサーカス団と戦って
守ってくれてありがとう」
「…前の暮らしに戻っても、たまに会いに来てくれる?」
「うん……勿論だよ!当たり前じゃん!毎日会いに行くよ! だって、今更またホログラムの先生としか会えませんって言われちゃったら寂しいもん」
ジルはアグダの手をとりふにゃりと微笑む。
「……良かった。ありがとう」
そう言うと、笑顔を浮かべたアグダの目から涙が零れる。
人間と体液と同じ濃度で作られた生理食塩水は、ゆっくりと彼の頬を伝い、雫として落ちていった。
この光景には見覚えがある。それは、ニュンがサーカス団に寝返ってしまった時だ。彼には悲しみを感じるような場面になると涙を流す機能がある。まるで人間のように。
「だけど、先生はそれだけでいいの…?正体を隠してイライザとして過ごすって事は、またずっと生成所から外に出ず独りで過ごすって事だよね……?」
アグダはジルに自身の涙に狼狽え、悲しみを悟られたと知ると、申し訳なさそうに眉を下げた。
「……仕方ないよ。だって、イライザじゃないとユークロニアを守れないんだから。僕はイライザのフリをすることでずっとこの街の平和を守ってきたし、これからもそうするのが最前なんだよ」
ジルの手を、それより少し大きなアグダの手が包みこみ、握り返す。
その優しい力は彼の精一杯で、とてもじゃないが現れた襲撃者を一網打尽に出来るような能力は無いという表れでもあった。
「独りの時間がほとんどだけど、完全に独りというわけじゃない。手伝ってくれるクローンが一人いるし、これからは君が会いに来てくれる、から……」
「寂しくない」
自分に言い聞かせるようにそう口にした。

「イライザの存在が脅威となってこのユークロニアが守られてた以上これからも正体を隠してイライザとして過ごしていくのが1番賢明な判断なのはわかるけど…イライザが眠ってから今までユークロニアを守ってきたのはアグダじゃん…今回だってイライザが目を覚まさなくても先生が何とかしてくれたし…」
「我儘言っちゃってごめんね、でも、先生すごく悲しそうな顔をしていたから…」
潤んだ目を隠すように俯き黙り込んだ。
「我儘じゃないよ、僕の事を思って言ってくれたんでしょ?優しい子に育ってくれて先生は誇らしいな」
「うん………」
「あのね!先生、今までユークロニアを守ってくれて、長い間No.0001011をクローンとして生み出して育ててくれてありがとう!…私、これからも色んな事を経験して、もっと成長して、いっぱい学んで、先生に幸せをたっくさんわけれるような人になる! 」
ジルは大きな目から溢れ出そうな涙を袖で荒く拭う。
沈んでしまった気持ちを無理やりあげるように切り替えて明るい笑顔をみせた。

「エゴかもしれないけど、先生に私なりの恩返しをしたいの!だから、ずっと私の事を見守っててね」
「勿論!君が望んでくれる限り、何十年、何百年でもずっと見ているよ」
彼はジルに負けないくらいの笑顔を向け、力強く頷く。彼女の言葉が何より嬉しかった。



麻酔で眠らされたクイーンビーとニュンは、夢を見る。
紫と緑のサーカステント。Black widowの文字と蜘蛛が描かれた看板。アイアンフェンスに囲まれた広いステージには、既に団員達が待っていた。

「何してたの?そろそろフィアスがお腹減らしてんだけど」
勇敢な調教師。

「すぐに殺しちゃダメだよ?沢山苦しんでもらわなきゃつまんないでしょw」
残虐な野兎。

「僕の百発百中、早くお見せしたくてたまらないね!」
気高き水鳥。

「タントもがんばるよーっ!がうがう!」
意気軒昂な小怪獣。

「この機会に新たに調合して頂いた毒を試せるかしら……」
寂然たる大蜘蛛。

「おお!それは楽しみだね、素敵な舞台になるよ!」
聡明な奇術師。

「さあ、患者様方が待っておられますよ」
黒衣の天使。

「はよこっちおいでや、舞台始まってまうで!」
熱狂の魔女。

彼女達の元へと踏み出した足は、バランスを崩し、地面へと沈んでゆく。
ああ、いけない。もうすぐショーが始まるのに。
急いで彼らの元に、行かないと。
強い、強い光が自分達を照らし、白一色が視界を埋め尽くす。
あの色とりどりの日々は、どうやって消えたんだっけ?



クイーンビーとニュンの手術は無事成功した。
彼らはユークロニアに関わる記憶全てを失い、この街の外で生きていく。

各地を移動しながら殺人サーカスを披露することを生業とする集団、Black widow。
彼らの噂は、ある日を境にぴたりと途絶えた。

シナリオ ▸ 五臓六腑
スチル ▸ はむにく 匿名スチル班 うねり IQⅡ つたの ねね
ロスト ▸ なし
エンドカード  ▸ 加工済み魚類
アイザック=ヴァレンタインのCSが公開されました。
ジルのCSが公開されました。
act 13
act 15