act 3


開演前の暗いサーカステントの中。冷えた空気が肌を撫でる。
今日の演目のために集められたのはマーシャとタント。二名を見て緊張の表情を感じ取ったのか、ゼロトリーはふとこんな提案をした。
「ちょっと外の空気でも吸うか?」
「ウチ、外行きたいのっ?」
ぱっと顔を上げたタントは、小さな足を忙しく動かしながら彼女の周りをぐるくると回った。
「ウチがいくなら行くよーっ!」
対して、マーシャは警戒、疑念の眼差しを向けながら「外の、空気……」 と呟く。
今自分達は軟禁状態にあり、外に出られたら困るはずだ。それとも、何か考えがあるのだろうか。
「ね、ね、マーシャも行こうよーっ!」
殺人サーカス団の裏を探ろうとあれこれ思考を巡らせても、結局は無邪気に服の裾を引っ張る彼に抗う気は起きなかった。
「はい、では行きましょうか……」

「じゃあその前に……タントにええもんあげよか。目瞑りい」
「???」
タントは魔女の言う通りにキュッ、と目をつぶった。
「青い空に白い雲、暖かい日差し、温かいご飯に、ふかふかのベッド、美味しいキャンディー」
それは、まるで呪文でも唱えるように。幻想を呟きながら、彼の口に一粒のラムネ菓子のようなものを捩じ込む。
「……さあ、ここは虹色の蝶が空飛ぶ世界。楽しいお友達も一緒におる。舞台はまもなく開演。沢山遊んできい!」
「……!」
タントはコロコロとラムネ菓子を舐め始める。
瞳は活き活きと、まるで鮮やかに様変わりした景色を見たように輝きを増す。
「きれーーいっ!ね、ね、ウチ!タントきっといーーーっぱい頑張れるよ!」
「だから見ててねっ!終わったらほめてねーっ!」
マーシャは、自分がどんな顔で二人を見ているのかがまるで分からなかった。この一連の出来事に、ほとんど確信めいた悪い予感がしたのだ。
「マーシャも、いっぱい、いっしょに、あそぼうね」
ぐるぐる焦点の合わない瞳とふと、目が合って。
それが、一瞬だけマーシャを真っ直ぐ見た。

「頑張るって……タントさん、お外は……」
「?マーシャ、ここがお外だよ?」
「きれいだねえ、楽しいねっ!」
マーシャの手を引いてくるくると回るタント。彼の口に入れられたものはユークロニアでは決して教えられることとない、何か。
ただ、「……そうですか」と相槌を打つことしかできず、ゼロトリーの方を見るも、自分にもどうかと同じラムネ菓子を差し出されてふいと視線を背ける。

「……お集まり頂きありがとうございます。これより、殺人ショーの第三幕の公演を開始致します」
開演のアナウンスが流れ、スポットライトが、楽しそうなタントに連れられるマーシャを照らし出した。
「彼は意気軒昂な小怪獣。その愛らしさに惑わされる事なかれ。炎の扱いに長けたプロの技をとくとご覧下さい!」
特別演出だろうか。舞台脇から花火が打ち上がる。それは色とりどりの火花を散らしながら美しく散っていった。

タントは「がうがう!そうだよーっ!タントはかいじゅうだもん!」と怪獣のポーズをしてみせるが、マーシャはただただ黙って俯いていた。
彼が純粋な悪であれば、このような緊張と不安を抱く事もなかったのだろうか。

そう思ったのも束の間。奥から現れたゼロトリーはマーシャにショートスピアを手渡し、既に武器を服を仕込んであるタントには優しそうな声で「タントも綺麗なのん出来るよなあ。お日柄もいい事やし、ウチ、タントの火がぱちぱち弾けるんが見たいわ」と囁いた。
その言葉はタントにとって充分に火付け役として働いたらしく、ピクリと反応すると嬉しそうに笑顔を浮かべる。
「わかった〜っ!」
「ね、ね、ね!マーシャ、トクベツだよ。友達にしか見せてあげないボクの一番きれいなの、今日はトクベツに見せてあげる!」
先程まできれいだねーなどと言いながらマーシャの周りを回っていたタントは、まるで敵にそうするかのようにマーシャと向かい合った。
それを確認して、ゼロトリーは舞台を去る。

「だってね、今、すごーーーくたのしいから!」

彼はずっとこうして戦わされてきたのだろうか。
マーシャの表情に悲しみが滲み出た。ナイフを構えたものの、彼女から攻めに行く事は到底出来ないようだ。
「タントさん、今貴方には何が見えているんですか……」
「みえないの?みえないの?」
「じゃあね、タントが見せてあげる!」
彼はカラフルなキャンディを模した火炎瓶を器用に操り、まるで本物の怪獣のように火をふいて見せる。
標的は目の前の彼女。
その驚いたような、動揺した表情がもっと楽しくなりますように、と願いを込めて吐いた炎はマーシャの腕を焦がす。
「……っ!」
炎から走って逃げながらナイフを投げて牽制すれば、構わず追いかけたタントの足を突き刺した。
「わっ、わっ」
「ごめんなさい……っ」
タントの様子にに少し怖気付いてしまい、思わず謝罪の言葉が漏れる。

「???」
「なんでなんで?たのしいよ!」
「もっといっぱい遊ぼうねーっ!」

タントの目は困惑するマーシャの様子など映っていなかったのだろう。流れる血にも構わず、歩み寄ってその表情を覗き込む。

「ね、ね、ね、マーシャ、たのしくなさそう!」

マーシャは、笑っていなかった。
雨に濡れることも飢えることも無い、みんな仲良しのタントの居場所。そこに、友達のマーシャが笑顔でいてくれれば、どれだけ素晴らしいことだろうか。
いまからする事で、マーシャが笑顔になってくれる様子を想像して、タントはとびきりの笑顔を見せた。
「ボクがたのしく、してあげる」

「キャンディ、怪獣、折り紙、シチュー、絵本、わたがし!」
「いっぱいのたのしいの、見せてあげるね」
マーシャが間合いに入られたと気がついた時にはもう遅くて、ぷかぷかとちいさな炎がタントの口元で揺らめいたかと思えば、魔法のように煌びやかな爆発がマーシャの周りで起こる。
突如放たれた閃光に思わず目を瞑ってしまい、逃げることも出来ずに、美しく散る火花がマーシャの肌に触れては火傷を作ってゆく。
「……ぅ!」
その手を止めるべく、両腕があるであろう場所を狙ってナイフを投げた。

攻撃が止み、目を開けばタントは手首から血を流していた。
手首の肉を抉ったのだ。小さな子供では耐えきれない、相当な痛みのはず。それでも彼は泣きも騒ぎもしない。
マーシャは視界が潤んでゆくのを感じた。
「や、やめましょう…!もうこんなこと……痛いでしょう?!」

「あれ?あれ???えっと……ううう」
タントはナイフで抉られた傷口を見て一瞬狼狽える。
「だいじょうぶ、だいじょうぶっ」
そう言って自分を安心させるかのようにポケットから飴のようなものを取り出して1粒、また1粒と口に含む。
「痛くないもん!ちゃんと頑張ってほめてもらうのっ!!!」
「がうっ」
飴のようなものを含んだ口から、自分は怪獣だと言わんばかりにボゥッと勢いよく炎を吹く。
「うう〜〜〜っ」
しかし先程の痛みにより身体がブレたのだろうか、火はマーシャに当たることはなく、ステージの備品をただ虚しく燃やすだけだった。

「私が目を覚まさせてあげます……!」
ステージで炎を吹き続けるタントの動きを止める為、マーシャは殺さない程度にタントに向かってショートスピアを投げ続ける。
「あぅッ……ううう……」
「やだやだやだ!朝なんていらないの!」
ショートスピアの先端が刺さる度に痛みで現実に引き戻されるのが気に食わず、癇癪を起こしたように先程よりも大きく炎を吹いた。

逃げきれず、半身が炎に包まれる。焼けた皮膚に痛覚は支配され、絶え間なく痺れるような痛みが襲った。
手の力が抜け、武器を手放してしまいそうになるが、負けじと今度はマーシャがタントの足を狙う。
マーシャが投げたショートスピアがタントの足に刺さるとバランスが取れなくなったタントは「あっ」と声を漏らしてその場で転んでしまった。

「あう...?」
タントは自身のふくらはぎに目をやると顔が見る見る内に青ざめていく。
「……いたい?」
「いたいいたいいたいっ痛いぃ……」
目に涙を浮かべ、咄嗟にその場で蹲る。
タントはなんとかして痛みを抑えようと無理にスピアを引き抜こうとした為、かえって自身の肉を抉りとってしまう。
ショートスピアの刃元にはタントの肉片と血がこびりついていた。

「とまって、ください……」
マーシャはその様子に心を痛めながらも、タントが止まってくれるようにと切実な願いを込め祈るように呟く。

しかしタントはマーシャの願いを拒むかのように首を大きく横に振る。
「がんばらないとっ……がんばらないとっ……!」
「ずっとここにいたいもん!さむいのはもうやだ!」
一体何を思い出したのだろうか、一瞬哀しそうな顔を浮かべると、今度は観客席めがけて炎を吹く。
「……!?」
すぐさまタントを止めようとするも、驚きで手元が狂ったのかマーシャの投げたナイフはタントまで届かない。

「やだやだあ!おいてかないで!」
「みんなどこお……」
目の焦点は定まっているものの、まるで誰かを探すようにフラフラとよたついている。
「はあ……はあ……ううゔ〜〜〜っ」
タントは立ち上がって火炎瓶を操ると今度はマーシャの近くで大きな爆発が起こる。

「……っあ゛」
今まで感じたことない、まるで肺が潰れるような痛みと飛び散った破片による怪我で意識が遠退く。
爆発による煙で視界が遮らている中、がむしゃらに投げたナイフはタントの喉元を貫いた。
「がっ……!?」
「がひゅ…ぅ、う゛……?」
喉をヒュー、ヒューと鳴らし、タントはその場に仰向けに倒れ込む。

「…ぁ、ああ!」
タントの様子に気付くとマーシャは顔を真っ青にし、「タントさん!」と身体を引き摺りながらタントの傍へと駆け寄った。
「けぽ」
口の端から気泡の交じった血を吐き出したタントの目は澱んでいて、このまま彼はショーの犠牲となり、もう助かる余地は無いのだろうと悟る。
彼は目を覚ますことなく、サーカスの夢の中で死んでいくのだ。
「マ...シャ.....ね、たのしかった...?」
痛みで半分気が飛んでいるのかふわふわとした口調で尋ねる。か細い声を聞こうと、傍によったマーシャに、タントは少し誇らしそうにこう言った。
「ボクの...ぱちぱち...すごかった..でしょー」

マーシャの目から涙が溢れ、大粒の雫となって頬を伝ってゆく。
タントは助からない。助からないと知っていても、気付けば傷口を止血するように手で押えていた。
「……タ…ント……タントさんは…楽しかったんですか……」

「....たのし、か、...った?」
タントは譫言のように繰り返し、焦点の合わない目で首を傾げていたが、マーシャに触れられればあたたかいのか僅かに目を細めた。

皆がその様子を静かに見守っていたが、不意にゼロトリーが後ろから拍手しながら現れる。
「お見事でした、レディ・マーシャ。どうかそのまま彼に引導をお渡し下さい」
彼女が舞台に介入してまで何をするかと思えば、マーシャの手をタントの首まで誘導した。
「親しみある者にこそ、その“手”で。それがルールではなくって?」
「……!」
その声にびくりとマーシャの肩が跳ねる。

ルールとは何を意味しているのか。何故自分には気安く話しかけて来るのか。相変わらず、彼女の言ってることはちっとも理解出来ない。
こうしている間にもうとうとと眠るようにタントの瞼が落ちていく。
マーシャはぎゅっと彼を抱き締め無言の抵抗をした。

「シュル...ごほうび、くれる...?おにい。ボク、おにい、みたいに、できてた.....かなあ...?ね、タランテラ、えほん、よんで........」
サーカス団の名前を一人ずつ譫言のように呟きながら両手を空に彷徨わせるが、その指は何も掴まず、また、誰にも掴まれること無く。ただただ温度を奪われてゆくだけだった。
「...?みんな、どこ?」
言葉を発する度に。ひゅぅ、ひゅぅ、とか細い息が行き交う度に、血を吐き出し続ける。腕の中の小さな命の鼓動が、徐々に弱くなる度にマーシャは強く抱き締めた。
「さむい」「ひとりぼっち...やだ」
タントの手からゆっくりと力が抜けていく。
それに涙が零れてしまいそうになるのを耐え、下唇を噛み締めた。
「ひとりに、しないで」
そう呟き、落ちていった手でマーシャの背中に縋るようにして目を閉じた。
この少年の暖かい微笑みはもう無くなって、懸命に動く小さな体は止まってしまって、それきり。
自分の中で短い生を終えた体は、もう二度と動くことは無いのだ。
「…っ……うぅ…」
こらえていた涙が溢れ出す。
痛みや悲しみの中、腕を下ろせば、動くことの無い死体は当たり前に地面に転がった。
ぐちゃぐちゃに泣いた跡はあるものの穏やかな顔だった。
マーシャはタントの顔が、何度もぼやけては歪んでゆくのを、ただそこに座り込んだまま眺めていた。

やがてぱちぱちと拍子が聞こえてくる。煩く聞こえた拍子が、タントに向けたサーカス団員達の餞である。

ぼんやりと顔をあげたマーシャの顔には、彼とお揃いの涙の跡があったが、やがてはそれを拭いて、立ち上がらなければならない時は来る。
彼女はいつもの強い表情を浮かべると、サーカスの人達のことは一瞥もせず、ふらつきながらも足早に舞台を降りていった。
そうして今回の舞台も終わったのだ。

「……素晴らしい戦いをありがとうございました!続いて次回公演のお知らせです。次の舞台はレディ・ジル、対するは綱渡りと拷問の達人レプスに行って頂きます!皆様どうか楽しみにお過ごし下さい!」
シナリオ ▸ 内蔵 はむにく
スチル ▸ はむにく 加工済み魚類 匿名スチル班
ロスト ▸ タント
エンドカード  ▸ 加工済み魚類
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