六回の公演を経てIsotope sheep用のテントは随分と寂しくなった。
ここで八人で雑魚寝をしろと言い渡された時は正気を疑ったが、殉職が相次ぎ、裏切り者も出て、現在警備員達は残り四人。今では迷い込んだ蝶さえ誰かに気に留められることもない、閑散とした居住区となったのだ。
前回の殺人ショーでアイザックが亡くなってから、クローン達の纏め役を失ったということも大きいだろう。
今回の主役の一人であるテオは、アイザックと特別仲が良かった。しかし、彼の死後もテオの様子は少し落ち着いている程度で特段変わりはない。
勿論、隣にあった温もりを失う事は寂しかった。しかし、だ。兄として信じた存在が、“兄”として期待を裏切ることのない清く正しい死を迎えた。これ以上の喜びはあるだろうか?
兄の死は美徳である。それを証明するためにも、弟である自分が、彼の信じた弟像から外れる訳にはいかない。
アイザックが死んだ時、テオは笑っていた。テオに変化があったのは、その内心であったのだ。
そして現在、俺の番は今日か、なんてぼんやりと考えながら、彼らしい軽やかさの足取りで舞台用のテントへと進んで行くのである。
舞台裏で先に待っていたデリックはテオに気がつくと、愉快そうに大袈裟な身振りで手を出し、握手を求めた。
デリックの姿ははいつもの白衣とゴーグルは楽屋か自室にでも置いてきたらしく、研究者らしい装いから、舞台に立つにふさわしい雰囲気へと変わっている。左右非対称に緩み、胸元まで垂れ下がっていたリボンタイも、愛おしい人である剤の手によってきっちりと結び直されていた。
「やあやテオ号。共演仕るはこの僕、ワハハ、僕だね!」
「おーすげ〜、エンターテイナーからのファンサっスか?無料で握手とかしていいんだ。 ラッキー」
「君はファンではないだろう、ファンサービスのつもりはないよ。それに本公演では君もエンターテイナーになってもらうからね。…………これこのように!」
テオが差し出された手を握ろうとした、その時。デリックの手から一輪の花が咲く。白いリボンが結ばれたピーコックグリーンの薔薇だ。
思わず面食らってしまい、え、と声が漏れる。
「あはは!いや〜流石サーカス団の人!って言いたいけど あんた希代の裏方さんなんでしたっけ?
こんなに素敵なことしても”裏方”で済まされちゃうなんて 勿体ないな〜俺には成せない技なのに〜」
素直に言ってるだけなのか、悪意があるのか。テオはなんとも言えない言い方をしながら軽く拍手した。
デリックはその真意を探る事はせず、「裏方が光栄なのさ、いつかわかる時が来るといいねぇ」と穏やかに微笑み、薔薇をテオのポケットに挿す。
「わかるとき?うーん、わかるかなぁ、じゃあ俺まだ暫くわからないから今死んだら困るな〜。なんてね」
「ワハハ違いない!ではお互い鎬を削りに削ろうとも」
二人がそう話していると、不意にウィッチ・ゼロトリーが現れる。暗闇の中、音もなく忍び寄った彼女は、テオと目が合うと意地が悪そうに口角を上げた。
その表情を見た勘のいい者は、どうやら何かを仕掛けるつもりらしいと理解してしまうだろう。
「どうも、武器配り屋さんやで。自分が望むのは手に馴染む大剣か?それとも……」
「王の死骸か?」
薄暗い光が、彼女の右手に持った赤の大剣と、左手に持った、壊れたドローンを微かに照らす。
ドローンのモノトーンにライトブルーの差し色が入ったデザインを見た途端に、テオの頬が引き攣り、軽蔑したような目をゼロトリーに向けた。
「…………キッッッッショ、寒気したわ。だーれがお前らみたいなゴミカス無神論者の話に乗るって?冗談にしてはキモすぎますね 辞めてくれませんか」
「話が見えないね。ウィッチさん、テオ号。それは一体何だい?」
デリックは途端にテンションが下がったのか冷たい言葉を口零すテオと、愉快そうなゼロトリーの様子を不思議そうに見ながらそう問う。
「これ?街を歩いていたら突っかかってきたから壊して、持ち帰ってきた!イヒヒッ、アハハ!」
自分で言ったジョークがたいそうお気に召したのか、ゼロトリーは額をおさえながら笑い始める。彼女が持っているのは、レーザー銃のようなものを搭載した全長20cm程のドローン。彼女が打ち負かしたそれを、この街の管理者、イライザの死体と揶揄したのだ。
「ま、でも要らんよな。これから戦うねんもんなあ。勝ったらあげるから修理でもしたりい?蘇るかもしれんで」
ふと、真顔に戻った彼女が手から力を抜くと重力に従いドローンは床に落ちた。床と金属のぶつかる硬い音に目もくれずにテオに大剣を手渡す。
「……はー、わかりましたよ。俺への嫌がらせッスね?これで俺に戦う気持ちみてーなの湧かせようとしてんだ?やり方キモ〜、育児失敗した母親かよ〜」
テオはため息をひとつつくといつもの調子に戻り、憎まれ口を叩きながら、渡された武器を手にした。
「え?偶然やったんやけど……そういうことにしとくか。うん」
そして次にデリックへの方を向くと、魔女帽子の中から一つのリボルバーを取り出す。それは、いつもゼロトリーが使わずにお守りとして持っている銃だ。
「これは、ウチの故郷で作られた銃や。威力は抜群、タネを見破る客も一撃必殺で仕留められる代物。
片方にだけご褒美があるってのもおかしいし、デリックが勝ったらこれな!」
彼女はそう言うと再び帽子の中にリボルバーをしまい込む。
「え、僕にもくれるの?団長さんの故郷のものか、そんな貴重な代物を貰えるなんてありがたいや!」
「イヒヒ、ええやろ!ほな、頭も痛なってきたことやし、お喋りもそろそろ終いにしよか。二人共行ってきい!」
舞台裏のカーテンを少し開けた先では、ライトが輝かしく光る華やかな舞台が貴方達を待っている。どうやらいつも裏方を担当しているデリックの代わりに誰かが照明係を請け負ってくれているらしい。
「白で強め!奇術を照らすにいい具合だ、ありがとう!演出のしがいのある楽しい舞台を作ってくるから今回はよろしくねー!」
デリックはリボンタイを再度ピンと張りながら、団員全員に伝わるくらいの大声で声をかけた。
テオはその様子を見ては、へらりと軽薄そうな笑みを浮かべて散歩に行くような足取りで彼について行く。
「うわ〜様々な意味で眩し。なんかもうヒーローみたいじゃん。まぁいっか、行きましょっか〜、もう避けれねーみたいだし」
二人が舞台へと上がると、「お集まり頂きありがとうございます。これより、殺人ショーの第七幕の公演を開始致します。」というアナウンスが入り、丸いスポットライトの光が二人を照らす。
「彼は聡明な奇術師。己を蝕む程の探究心は今、鮮烈な芸術となって舞台へと上がる。その技術はまさに神業!瞬きの一瞬すら、どうかお見逃し無いようお願い致します。」
デリックが団長からの役者紹介を受けると、ステージ板を踏むや否やくるりと一回り、「さァさ諸君、これよりご覧に入れますは!ブラックウィドウが奇々術師、絢爛豪華な芸の華!」と歌うように口上を述べる。
「開幕、歓楽、大狂乱!種も仕掛けもありゃしない!」
その声はサーカステント中に響き渡り、全員の視線が彼に集中した。デリックは口角を上げ、頬にペイントされた星がほんの少し空へと昇る。
「お手を拝借、ド派手にいこう!!!」
指を鳴らせばテオの胸元に挿さった薔薇がひとつ、ふたつと花を増やす。渡した一輪が花束になった頃、仕上げとばかりにもうひとつぱちんと指を鳴らすと、その花束は大きな音を立てて爆ぜた。
予想外の展開。思わぬ爆発にテオが対応出来るはずもなく、爆発による突然の熱を思い切り受け止めれば、これまで散々貼っていた笑みを思わず歪めた。
爆風に乗せられ、花びらが舞う。
「ワハハハ!!花嫁の薔薇は罅ぜるだろうとも、予習不足だね君ィ!!」
「ッ……、……予習も何も、物事は行き当たりばったりなのが楽しんじゃないッスか。分かりきったトリックなんて楽しくないッスね」
舞台にたちまち火薬の匂いが広がってゆく。テオから落ちた制服の布切れには、溶けた皮膚がへばりついていた。ユークロニアの警備員が配られる耐火性の制服よりも、デリックが作った特注品の爆薬の方が遥かに勝ったらしい。
もちろん痛いなんて程度ではなく、テオが感じるのは神経を直で掻かれるような激痛。
口は変わらず達者に動くが、先程のダメージがやはり響くのか。テオのデリックを狙った攻撃はひらりと交わされてしまう。
「ム、それもそうだね?つい昂ぶって説教してしまった!」
デリックは当たらなかった攻撃に安堵しつつ、やっと腰から引き抜いた銃を構えた。
そして、銃声がひとつふたつと鳴るが、それらは全てあらぬ方向へと飛んだ。
それもそのはずだ。デリックの銃の腕前はからきしだめなのだから。
「あああ指が震える!当たんないでしょ止まってよぉテオ号!」
一旦銃を構えていた腕を下ろしてそう訴えかけると、テオもまた大剣を床へと突き立てた。
「え?何?俺の事好きなの?当てないでくれてる??じゃあ殺し合いとかもう辞めて、自分の推しPRバトルとかに変えましょーよ。どうです?ダメ?」
「その理論でいくと君も僕のこと好きってことになるよ、いいの?個人的には魅力的だがお客を楽しませないとね、だからダメ!」
「もちろん!俺はあんたの事好きですよ♡ 俺、面白い人大好きなんで!だから、その面白い人のオススメPR聞きたかったんだけどなぁ」
わざとらしく残念そうに語るテオは、戦う姿勢を一向に見せない。観客席には舞台を見守る警備員とサーカス団員の姿があり、その中には、油断をしているような、侮っているような態度のテオに対して不満を抱いているかのような表情もあった。それにはきっと、テオ本人も気がついている。
「ん〜、俺さ〜。これ言ったらエンターテインメントとしてゴミだけど、勝ち負けどーでもいいから楽しませるとか興味無いんスよ〜」
だから合わせる気無ーい、と素直に告げるテオに、デリックは大袈裟に自分の両肩を抱き締めた。
「あ、怖い!君胡散臭いってよく言われない?」
まるで道化師のようなリアクションを見せるデリックとは対照的にテオは動かなかった。少し曖昧な笑みを浮かべる姿は、アイザックが仲間に向けていたそれとよく似ている。
「では動かず僕のショーに協力してくれるかい?……ああ駄目駄目、それじゃあ駄目!殺人ショーで殺される装置は最後まで足掻いた方が楽しいだろう。興味がないならせめて生にしがみ付く素振りくらい見せておくれよ」
それでもデリックは顎に手を添えたり宙に指で円を描いたり視線を天井にやったり頭を振ったり、せわしなく動きながらぺらぺら喋り続ける。
「えぇ〜、だって勝っても褒められてラッキーだし、負けても死んだ仲間と一緒になれてハッピーでしょ?難しい注文だなぁ。……まぁわかりましたよ。なんかそうしないと先輩たちにも怒られそうですし」
文句を言っていたが、ようやくやる気になったらしい。テオは剣を構え、そのまま懐に潜り込む。デリックの驚きに見開かれた目には、ニィっと笑うテオの顔と、迫り来る大剣が映っていた。
これは避けられない。両者はそう確信を得る。
大剣は真下からデリックの右腕目掛け、逆刃から振り上げられた。
「ぅわッッ!……あ゛~~~たたた……ちょっと、大剣なんだから大振りの攻撃しなさいよ!僕が死んじゃうだろ!」
デリックは右腕を押さえながら後ずさる。そしてかろうじて落とさなかった銃を持ち直し、発砲する。
しかし、ただでさえ下手な銃だ。動揺した構えでは当然照準は定まらず、弾丸はあらぬ方向へと飛び舞台を傷つけた。
「はは、接近戦は銃より剣が当たるってよく言うじゃないスか。死にたくないなら、どうぞユークロニアへお越しくださ〜い!楽しい楽しいクローン生活をご提供しますよ!」
「僕ってば引きこもりの裏方さん、自慢じゃあないが演出の助けがなければ遠隔戦でも剣に勝てないよ」
テオは肩で息をするデリックの様子を見ては楽しそうに笑みをこぼす。先程振り上げた大剣を持ち直すと、今度は真上からデリックの左腕目掛けて振り下ろした。
「クローン実験したいなら どうぞ自分がクローンになって自分をいじくってくださいね」
デリックは振り下ろされた剣を避けることはできず腕に剣をまともに受ける。縞模様のシャツと腕に巻かれた包帯は赤に染められながら絶たれ、グロテスクに変色した皮膚が顔を覗かせた。
「っあ゛ッ、つ~~~~…………!!いったいね、やるじゃないか守護者!!」
「やっぱ崇拝するものがあるのと無いのじゃ 違うのかな〜覚悟が」
銃を握るにも、斬られた腕では力が入らないようで、自身で撃った衝撃すら辛そうに顔を歪めている。テオはそんなデリックの傷んだ腕を逃がさないというようにぐいと掴んでは、顔を寄せにっこりと笑った。
そして、大剣の柄をそのまま彼の横腹へと容赦なく叩き入れる。
「ぐあ゛、ぁぁあッッ………!! ゲホッ、は、……崇拝、ね。ユークロニアに宗教なんてあるの?それとも君たちの親玉でも信奉しているのかな?」
デリックは脂汗を滲ませながら負けじと口角を上げる。近くで見ていたテオには彼の苛ついた様子が見えたのかもしれない。腕を掴んだまままじまじと考えるかのように眺めるものだから、デリックは「ッ痛いな、離して!」と声を上げて腕を振りほどいた。
「そんな怒んないでくださいよ〜……俺、怒られるのは好きじゃないんスよ。アンタにも笑ってほしいな 」
仲良くしたいだけですよ、なんて言ってみせるが、当然そんなことは不可能である。デリックは勢いに任せて引き金を引く。
テオに射撃を当てることはできなかったが、照準から逃れようと身を翻して剣を構え直したことで狙いが逸れたのか。彼が畳み掛けようと仕向けた攻撃は外れた。
「けほ。笑っているだろう、僕は」
デリックは汗を乱暴に拭う。瞳はぎらぎらと輝き、闘志に燃えている。確かに口角は上がっているが、とても楽しんでいる雰囲気ではない。
「君に怒っているわけじゃあないがね、怒りが苦手なら僕とは仲良くできないよ。残念だったね!」
そう叫び、再び引き金を引いた。
デリックの事だ、またどうせ当たらないのだろう。危険な銃であっても握るのが彼ならば、軽快な音を鳴らすだけの小道具になる、と人々は学習していた。
それでも、0.3は0ではない。デリックが持っているのは、本物の銃なのだ。テオの肩から上がる血飛沫が、それを知らしめるべく舞い上がった。
「お、当たった!」
デリックが場にそぐわない明るい声を上げる。怒気はすぐに引っ込み、やっと当たった己が銃に喜んでいる様子だ。
「ッい”…………、」
撃たれた箇所から痛みと、遅れて熱が伝う。咄嗟の痛みにテオは声を漏らしながらもデリックへと向き直すと、「やっと当てたじゃん……盛り上がるまでに時間かかりすぎだろーよ」と笑ってみせた。
すると、彼は「その通りだね、時間がかかってしまった。これじゃあ皆に顔向けできないね!」と腕の包帯を巻きなおし、背筋をしゃんと伸ばした。そしてテオの目を見つめ返すと、照明の注目を集められたその身でもう一度銃を構え、発砲する。
「お、っとっと。……うんうん、まだ僕は立ってる!さァ打ってこい!」
何度も見た、在らぬ方向に飛んでいく弾丸。それを見送りながら自分の実力に似合わない大口を叩いけば、痛みで速度が落ちたテオの斬撃を回避した。
「は〜……いやほんと、これじゃどっちが悪かわかんね〜や、キチ〜…」
テオは傷口を押えていた血濡れの手を見ては苦笑して、緩慢な動作でまた武器を軽く握り直す。この怪我の中体を動かすのも億劫で仕方ない、というのをその身をもって表すようだ。
「仲良くなるの難しいかぁ、同じ国に生まれてたら 絶対仲良くなれてたと思うんだけどなぁ」
その言葉にデリックは、「衝動に従い笑う様子を悪と呼ぶのなら、生き物なんてほとんどが悪さ。背筋を伸ばしたまえ」と返すと、四歩ほど観客席側へと歩いた。
まるで、観客席から見れば綺麗な対称になる立ち位置に移動するかのように。
「あっはは、僕の薪が別のものならば或いはそうだったかもしれないね?まァ僕はユークロニアなんてぜっっっったいに御免だからね、きっと仲良くなったそれは僕ではないさ」
そしてデリックもまたグリップの血を袖で拭い持ち直すと、笑いを浮かべた。
消耗した体力は回復しない。息も上がっており、出血も多い。きっと彼はもう、銃をうまく構えられているかもわからないはずだ。
それでも、デリックは己を貫き語りかけ続ける。それがこの殺人サーカス団の奇術師、デリック・ディリックなのだから。
「………あぁ、そういう感じ?じゃあ確かに根っからアンタはクローンに向いて無さそうッスね 」
テオもまた、疲弊していた。負傷した肩では剣をおもいきり振るうことは出来ない。
破れた動脈からは、あと一撃食らえば致命傷になり得るであろう量の血液が流れ出している。
「何が自分で誰がどうとか、そういうの考えるから人間ってキショイんだよな〜。残念、こうはなりたくないね」
テオにもまた、譲れないものがあった。彼はこの街を、ユークロニアを愛している。
ぐっと踏み込んでは、真面目な眼でその武器を敵の身体目掛けて振るえば、彼の胸から腰を袈裟懸けに切り裂く。
「ぐ、フハハッ………!!痛い痛い痛いね!!そうだよ僕は刃物でも銃でも鈍器でも簡単に死ぬんだよ!!」
デリックは目を一度強く瞑ったのち、血を飛ばしながら大口を開けた。どこに向かって銃を撃っているか、そもそも撃てているのかすら理解していない様子で、それでも歪な笑顔を絶やすことはない。
「ワッハハハ!なれるものか、理解されてたまるか!僕ってば稀代の裏方さん、"持つ者"の真似事なんてできる訳がないだろう凡百ゥ!!」
「っはは!面白いな〜やっぱアンタ!無神論者にしてはやけに気が狂ってんの、俺からの宗教勧誘で根が飛んだか〜?」
テオは逃すものかと言うようにしっかりとこの両目でデリックを見据えてみせると、楽しさに口角を上げたまま、今すぐ倒れてもおかしくないこのカラダを意地で動かす。
そして、こう叫ぶのだ。
「っはは…!くたばれ無神論者が!!!この街に穢れてるやつは要らないって教えてやりますよ!!」
何処に当てるかなんて等に考えるのを辞めた。
今はただこの武器を振るっていかに楽しむかと言った点に思考全てを任せ、彼にその刃を落とした。
力任せの一太刀を受け、とうとうデリックは得物を足元に落とす。それと同時に己の命の限界を悟った。
「──ああ、これは僕が死ぬね」
幕引きだ。だってもう、デリックの霞んだ目では相対する者の顔だってよく見えない。
彼は照明機材をちらりと確認すると「下手に四分の一歩、」と呟く。足を引き摺り、ライトが最も多く当たる場所に移動した。
「…………剤。君に約束を破らせてごめんね」
団への恩はまだまだ返し足りないし、復讐は指先すら掠められずに終わった。最愛の妻に約束を破らせてしまった。
ぜんぶ未完成だ、何も成せない延長の生。
「だが知っているとも。殺人ショーで殺される装置は最後まで足掻いた方が楽しいんだ。多少の未練はあった方がいい!君の生み出した舞台に称賛を送ろうね、テオ号」
デリックはそう語れば、くるりと客席を振り返り両腕を広げる。テオからは無防備な背中が見えていることだろう。
そして強く床板を踏み、自分以外を見ることは許さないとでも言うように大見得を切った。
「さァさ諸君、これよりご覧に入れますは!ブラックウィドウが奇々術師、デリック最期の大仕掛け。死に咲く花実は吾が命、血の華前線ここに在り!」
血に濡れた衣装。青白い顔。充血した隈のある目。揺らぐ立ち姿。少し掠れた声。満身創痍の体は見苦しくも美しい。
そう。今のデリックは主役として舞台に降り立っている。病の少女を治す薬。恨み憎んだ相手を呪い殺す毒。どちらにもならなかった彼は最期、己が人生を舞台に差し出し、生きた芸術品としての終幕を選んだのだ!
周囲は暗くなり、サーカス団員達はその生き様を賞賛するようにスポットの光をデリックに集中させる。
「お魅せしましょうぞ。拍手は結構、喝采はその中指にて!満たされぬこの身を、この空虚な憎悪を、どうか僕と共に憎んでおくれ!!」
天井に中指を突き立てながら声を張り上げる。
喉が千切れたのか、声を発する度に口から細く血が噴き出る様は、まるで夜空に火を降らす花のようだ。
それでもデリックは口上を止めることも、笑顔を崩すこともしなかった。
「…………死んでくれ、イライザ」
刹那的な、その時間。彼は今まで披露したどんな立派な手品よりも目を惹きつけたであろう、その一瞬。
バンと、その公演をぶつ切りにするような乾いた音が鳴った。
暗転。照明は落ち、観客達の目に彼が立っていた残像の光を残す。火薬の匂いが広がり、遅れてどさりと、重たいものが地面に打ち付けられる音がした。
音の正体は、無防備なデリックに向かって、テオが拾い上げた銃で発砲した音だった。
「デリックせんぱ〜い、銃ってこう撃つんですよ 知ってました?」
次に光がついた時は、銃を倒れたデリックの方に適当に投げ返すテオが立っていた。
「……これで、褒められますかね」
彼は昂っていた気が落ち着いてきたのか、一度ぼーっと一点を見ては静かに呼吸を落とす。
瞳だけ動かしてデリックを見ては、ゆっくりと瞬きをしてから口を開いた。
「裏方って大事なのよーく分かりますよ。やっぱ俺はアンタの事、好きだな〜。最後までどーもお世話になりました」
そして律儀にお辞儀をしてみせる。珍しい事もあったものだ。テオが反ユークロニアの組織のデリックに対して、一瞬でも経緯を払った。
顔を上げた時にはいつもの陽気で軽薄なテオ・バーナードにすっかり戻っていたが、デリックという存在は、彼にそれだけの爪痕を残したのである。
「来世は同じものを信仰できる仲間になりましょーね!デリックせ〜んぱい♡」
そう言うと片目を閉じてウインクをして、舞台を降りていった。
舞台から降りると、ゼロトリーが壁にもたれ掛かりながらテオを見ていた。
「おう、悪いな。ドローンやけど、まだ生きとったみたいで目離した隙にどっか行ってもうたわ」
「おー、そっスか!そりゃ良かった〜!安心安心!!二度とイライザ様の街のモノ壊さないでくださいね!!殴りたくなっちゃうんで!よろしくお願いします!」
「見つけたら教えてなー、ほんじゃ、公演のアナウンス入れるかあ」
テオは満面の笑みで満足そうに笑い、お先上がりま〜すと呑気に手を上げる。そんな彼とゼロトリーはすれ違うように舞台に上がると、倒れ伏したデリックの遺体を一瞥してマイクを取った。
「あれれ〜彼の体にあった命は一体どこに消えてしまったのでしょうか?タネも仕掛けも存在しない、人命喪失ショー!デリック最期の奇術に皆様どうか盛大な拍手をお願い致します!
さあ、次回公演はミスター・デルゼシータと剤の舞台になります。それではまたの夜にお待ちしております!」