act 8


「剤、大変や!人質達の姿がない。」
ウィッチ・ゼロトリーは慌てながら、剤の部屋の扉を開け放った。
確か記憶では、彼女自身の口から“人質達を舞台裏に移動させてくれ”と言っていたはず。それも、演目の時間に一時間余裕を持たせて。
まさか、彼女は自分で言った事も忘れてしまうようになったのか。それを確かめるべく、剤は質問をした。
「…………ウチ、深呼吸をして、私に合わせて吸って、吐いて。」

ウィッチがどこにも行かせないように肩に手を置くとすう、はあ、と分かりやすく深呼吸をしてみせる。
「昨日のことは覚えていますか、デリックの部屋に私を呼びに来てくださいましたよね?」
それでも彼女の様子は変わりない。
「そんなん言うた記憶ないで?ウチはそもそもどこも行ってへんよ、デルゼにサーカスについて色々聞かれとったからな」
その時、シュルがひょこりと現れる。
「ウィッチ、テントの出口の鍵見付かった?」
「……え?」
「さっき、出口の鍵がないって、俺達に探してくれって言ってたじゃん」
「……おい、ウチはいつも決めた場所に鍵を置いとる。無くすはずはないし、シュル達に頼んだ覚えもないんやけど?」
その大きな違和感は、徐々に広がってゆく。何が起こっているのか。それを確かめる為にも、武器を持つと舞台用のサーカステントへと急ぐ事だろう。
遡ること、五時間前。デルゼシータは舞台用テントを訪れていた。
というのも、サーカステントに閉じ込められてからの警備員達は、どうにかここから人質を連れて脱出出来ないものかとテント内の探索を行っていたのだ。
探索により判明したものは自分たちを眠らせたトリック。それは、“サーカス団員達は演目中のテントに一酸化炭素ガスを散布した”、それだけの事だったのだ。

空気より軽い一酸化炭素ガスは、高い位置に配置した客席にいる観客に吸わせることが可能で、また、散布後によく換気するだけで除染作業が必要なくなる。ガスは無味無臭で気付かれることは無い。彼らにとっては良い事づくめだろう。
幸い、ガスの在処は見つけることが出来た。だから、後はそれ撒く事が出来なくするだけ。

「確か、マーシャと来たときにはあの辺にあったよな〜」
デルゼシータは歩きながら近くにサーカス団員が来ていないか周囲を確認すると、サーカステントの支柱を見上げた。おそらく、そこに一酸化炭素ガスを散布する為のエアーホースがあるとの事だ。
しかし、今は特にそれらしきものは見当たらない。
もしや、登らないと分からないかもしれない。そう思い、ハシゴに手を掛けようとした時だった。

その手に、一匹の蝶がとまる。
そして蝶はふわりと舞い上がると、デルゼシータの手の上にその胴から光を発した。
デルゼは思わず声を出し、半歩後退り、体に染み付いた癖で無いはずのハンドガンに手を伸ばす。
しかし、集められた光は像を結んでゆき、眼前に現れたのはずっと待ちわびた彼の姿だった。どうやらその蝶は投影機の役割を果たすドローンであるらしい。
この街の支配者、イライザの小さなホログラムは、デルゼシータの姿を見ると眉を下げて微笑む。
「久しぶり、次が君だって聞いて居てもたってもいられなくて……」
「……マジか」
彼の言葉に、デルゼシータの緊張で強ばった口元が安堵の笑みへと変わった。
乾いた笑いを漏らしてへなへなとハシゴに寄りかかると、肩の力が抜けてゆくのを感じる。
「おっせーよ、バカアニキ」
たった数週間彼に会えなかっただけなのに、不思議と懐かしいと思ってしまう。悪態をつくデルゼシータの声は微かに震えていた。
「僕はずっとテントに忍び込んで、サーカス団の人達や君達の動向を見てきた。どうすればより多くの人を救出出来るか作戦を立てたから、聞いてくれるかい?」
「…聞かれるまでもねぇ、俺は何をすればいい?」
デルゼシータは作戦という言葉に姿勢を正すと、そう答えた。

「ありがとう、それじゃあまず────……」

イライザがデルゼシータに頼んだことは三つ。

まずは、ウィッチ・ゼロトリーの足止め。
彼はこれからウィッチを観察したデータを元に、ホログラムの姿と音声をそっくり同じに変えて、彼女の振りをしてサーカス団達を動かすつもりのようだ。それをする為には、本物は邪魔になる。その為に、彼女となるべく長く話をすることを頼んだ。

次は、舞台用のサーカステント内に一酸化炭素ガスを充満させること。
舞台用テントでウィッチの振りをしたイライザは、サーカス団員達に出入口の鍵を探させる。そして、鍵を見つけ出して戻ってきた団員を客席まで誘導すると一酸化炭素中毒で気絶させ、その鍵を奪い取るという算段だ。
また、彼は剤に全ての人質を舞台裏まで移動させるよう頼むと言う。

そう、イライザの最後の頼みは、出入口の鍵を使い、全ての人質と警備員を連れて逃げることだ。

「────と、いうものだけど、できる?」

これは賭けだ。一度でも違和感を感じ取られたらおしまいの綱渡り。舞台上であれば照明の効果を使って、ホログラムの姿を更に本物に近く見せることが出来るだろう。
しかし、彼の体は触れない。合成音声や言葉選びに不自然さが出ることもあるかもしれない。
危ない橋を渡ってまで全員を助け出すより、安全策は他にあるはずだ。
だが、彼はその頭脳で可能であると、結論づけた。と、なれば、はデルゼシータはそれを信じる他にない。

「ああ、任せてくれ!アニキが俺を信じて託してくれるんなら、俺はそれに全力で応えるだけだ。アイツらを救える手段があるんなら、俺は何だってやるぜ」
「ありがとう、君ならそう言ってくれると思っていたよ」
「それなら善は急げだ!俺の番まであまり時間もない、早速準備するぞ!」

そうして彼らは行動を始めた。



そして現在。そこでは、サーカステントに囚われていた全てのクローンがが今にも脱出をしようというところだった。
「逃がさん!」
ウィッチは帽子の下から銃を取り出すと、目にも止まらぬ早さで発砲した。
放たれた弾丸は正確に人質達を撃ち抜き、行動不能になった人質に気を取られた警備員達の足が止まる。
そして殿を務めていた彼。デルゼシータに向かってこう声を上げたのだ。
「やってくれたなあ、デルゼシータ!もうすぐ第八幕って所やったのに」

「彼を責めないでやってくれ。計画したのは僕だ」
しかし、舞台のスピーカーから聞こえたのは、聞き慣れない青年の声。
目の前の空間が揺らいだかと思えば、先程まで居なかったはずの人物の姿が現れる。
「さあ、皆慌てないで!動ける人は負傷した人を背負って、絶対に振り帰らずに走れ!」
そう声を張り上げると、クローン達は弾かれたように走り出した。
周囲には、蝶の形をしたドローンが投影機として彼を映し出しており、どうやら入り込んだ虫を装って侵入していたらしい。
ホログラムで投影された彼、イライザはクローン達の背中を一瞥するとサーカス団員達に向き合った。
「……さて、ユークロニアにようこそ。僕はここの管理AIのイライザだよ。」

「────皆の者、奴らを追え!公演を蔑ろにし、舞台を侮辱する不届き者に痛苦を、制裁を!」
ウィッチも負けじとサーカス団員達に司令をし、皆は街へと出ていった。
「きゃっ」
人混みに押され、少女が尻もちをつく。
「大丈夫?」
デルゼシータは手を伸ばし、頷いた少女の手を取り引っ張り立たせる。
「みんな焦らず冷静にー!押しのけないで手前の人から順番にー!みんな助かるからー!」
少女の様子を見て、怪我人が出ないように出口へ駆け込む市民達を統制しようと声を上げた。
「列からはみ出ちゃったな、ちょっと後ろになるけど……大丈夫だ!何があっても、俺とアニキ……ゴホン、イライザが嬢ちゃん達を元気で帰すからな!」

少女を少しでも安心させようと、明るく振る舞い少女の頭を撫でる。
「……うん。あの……、あのね?」
少女がモジモジと何か言いたげに手遊びをしながら、チラチラとデルゼシータに視線を送る。どうかしたのかと尋ねると、少女は顔を上げ笑顔で言葉を続けた。
「えっと……お礼が、言いたくて。閉じ込められてるとき、みんなにご飯持ってきてくれて。もう無理だって諦めて落ち込んでる人も、我慢出来なくて怒ってる人も励ましてくれたのは、お兄さんだったから。だから、ありがとう!」
「そ、そうか!へへ……面と向かれて言われると照れるな〜!俺は警備員として当然のことをしたまでさ!俺だけの力じゃないし、今日まで踏ん張ってくれたみんなのおかげだ。……あそこに入れそうだな、おいで」

列に隙間を見つけ、少女の手を引いていく。

「外までちゃんと送ってやりたいけど、まだサーカス団のヤツらが中に居るからな。俺はここまでだ。外に出たらきっと俺と同じ格好したお姉ちゃんとお兄ちゃんがいるからな、困ったら彼らを頼るといい!」
「うん、ありがとう。……あ、お姉ちゃんにも伝えてくれる?ありがとうって。サーカスの人だけど、あの人は優しくて、怖くなかったから」
少女は懐から包みを取り出す。中華風の紋様の袋に、異国の文字で『守』と書かれてあった。
「これ、ここまで来る途中にお姉ちゃんから貰ったの。お守りだって」
「そうか、わかった。伝えておく」

…………違和感。

後ろの人に頭を下げ、少女を列の隙間に押し込むとこれで最後と少女がデルゼシータに手を振る。
「それじゃあ、バイバイ」

…………違和感。

「ああ、元気でな!」
少女に手を振り返し、人影で見えなくなるまで見送った。
これでみんな助かる。アニキも来ている。
でもなんだ?心臓を掴むような、喉元に魚の骨がつっかえたような、ささくれのような不快感は?
彼の傍を人々が走りすぎていく刹那、香る。

…………火薬の、匂い?
ふと、剤の含みのある笑顔が脳裏を過ぎった。

『哀れな人々に忌まわしい生の病からの解放を、子らに祝福のあらんことを』

頭からサッと血の気が引いた。
「待て!!!!お前達それをすぐに手放せ!!!!」
何事かと少女が振り向いた瞬間、懐が光り少女はたちまち爆炎に包まれた。それが鶴の一声のように、周りにいた人々も共鳴して炎に包まれていく。
視界が白黒に点滅する。鼻腔を黒煙がくすぐり肌を熱が照らした。
バクバクと波打つ心臓が両耳を劈く人々の悲鳴を通す度に荒ぶる。

「あ……ああ…………」
1秒でも早く駆け寄ろうとした。みんなに火の消し方を伝えなければ。水源を確保して燃え広がった炎を消化しなくては。
水道は確か向こうにあったはず……
そうするべき、そうするべきだった……

しかし俺がしたのは、無様に膝をつき項垂れ、頭を抱えただけだった。
人々が松明のように炎上している。人型の黒炭が横たわっている。とっくに、歓声は絶望の悲鳴に代わり鳴り響いていた。
いいや?本当にそうか?
喉がジクジクと痛み始めてやっと気づいた。
これは、…………デルゼシータの悲鳴だ。

「うぁぁあああああああああああああああ!!!!!」

俺のせいだ。

俺のせいだ。

アニキが来たからって舞い上がって、浮かれて。
予め荷物検査でもしていたら防げたはずなのに。
未曾有のテロ、理屈の通じない小賢しいサーカス団。もっと慎重になるべきだった。

硬い靴の音が響き、慌ただしい足音が止まる。
「ああ……………、良かった、間に合ったようですね。」

足音の正体は剤だ。彼女は、初めて会った時ミミクリーの心配をしていた優しい医師の顔のままだ。
「火葬は未だ先の予定でしたのに…………、ああ、狂ってしまいましたね。」
彼女が手に持っているのは無骨なスイッチ、演目に使うからと頼んで用意してもらった遠隔用の起爆剤だ。ふう、と一息つくと呼吸よりも簡単な動作でそのボタンを再度押そうとする。

声のした方を振り向くと、燃え盛る炎の陽炎から見覚えのある姿が顔を出した。
この大被害をもたらした、元凶。俺の、今回の対戦相手。
起爆剤のスイッチを確認すると、弾かれたように叫ぶ。
「やめろ!!!!それを押すな!!!!」
「……………、ええと、患者様のお願いを聞いて差し上げたいのですが………」
デルゼシータの言葉に少し躊躇ったように手を宙に何度か降ってみせる。しかしピタリとその手を止めた。
「デリックにどこまでの距離機能するか聞き忘れたんですよね。……本当は演目前に聞く予定だったんですけど。だからもっと逃げる前に押しちゃいましょう。」
と、少し茶目っ気を含んだ、失敗を恥ずかしむ少女の顔でそのボタンを押した。

「ッ!!」
真新しい爆音がした方を振り向く。
燃え盛る人影を確かめると、拳を握りしめながらワナワナと肩を振るわせ剤へ向き直る。
「なんで、こんな……こんな非道いことを」
「?………ああ、もしかして、ユークロニアには死者を弔う文化はないのでしょうか?」
デルゼシータに言葉をかけられキョトンとした顔で問いかける。
「死というのは救いなのです、そして火葬することで煙と共に人々は天上にいくことが出来るのです。
私は、そのお手伝いをして差しあげただけ。」
黒衣を翻しながら中に装填していたトーチの形の焼夷弾を手に取る。
「そして、………ご安心ください。次は貴方様の番ですよ。T.R.デルゼシータ」
焼夷弾を彼に向ける姿は、患者に余命を宣告する医師のようだった。
「知ってるよ、何回も聞いた。
だからって……だからって、こんな残酷なやり方あんまりだろ!もっと、もっと他に、あっただろ!楽にしてやりたいからって、苦しめたくないなら……もっといい方法があっただろ!!!」
「焼死が最も苦しい死に方だって、医者のお前なら知ってるはずだろ!??なあ!!!」
強く握りしめた拳から血が滲み滴る。

ウィッチは剤の前に立ちはだかるようにして立つと、魔女帽の下からデルゼとイライザを睨みつける。
「心躍る音楽も、場を盛り上げる演出も、見て下さる観客もどれ一つ揃っていない。そういった舞台こそ、本物の戦場で御座います」
ウィッチがぽつりと呟く。まさか、このような状況でも舞台を諦めていないというのだろうか。
「……彼女は黒衣の天使。迷える人々を導くはその炎。炎と一体となった彼女の前では、この世の神秘さえも頭を垂れることでしょう」
「そして、私は熱狂の魔女。価値なく生き、価値なく死ぬ命をこの世から消し去る為に、ここに立つ。価値とはすなわち、人の持つ醜く美しい狂気!私の魔法は、それを引き出し、輝かせる……」
旗を持ってイライザに向ける。
「さあ、人工知能は価値を持つのか。解答はパフォーマンスでお願いします!」

イライザはデルゼの傍にホログラムの体を寄せると、「大丈夫、彼らはすぐに再生する。そして、この街で今度こそ……誰にも邪魔されることなく幸せに暮らすんだ」と囁き、六台のドローンを呼び寄せると備え付けられた銃口をウィッチと剤に向ける。
「その為にも、今は障害となる彼女達の排除が最優先だよ。」
鼻をすすり、仮面を僅かに持ち上げ隙間から涙を拭うと顔を上げる。
「……ああ、そうだな。お前達は絶対、俺達が止める!」
彼に期待をされている。それはデルゼシータにとって何事にも変え難い喜びだった。すぐさま銃を手に取り発砲する。
銃弾は剤の右手に当たり、焼夷弾が床に転がった。しかし、それで怯む彼女ではない。その手は依然としてデルゼシータを狙う。

だが、やはり上手く狙いが定まらないのだろう。攘夷弾があらぬ方向へ飛んで行く。
「その手じゃうまく投げられないだろ!」
「っ、」
手の痛みなんてどうでもいいが、コントロールが出来ないことは焦りと苛立ちを彼女に与えた。
「イヒヒッ、なあ、またウチに壊されに来たんか?学習せえへんねんなあAIの癖に」
「それはどうかな?君の攻撃パターンは分析できてるんだ。それに、そんなんだから僕に簡単に成り代わられちゃうんだよ?」
イライザのホログラムの姿は揺らぎ、ウィッチ・ゼロトリーと瓜二つの姿となったかと思うとまた元に戻る。
デルゼシータはイライザに目配せをすると、意図を読み解き再び剤に視線を戻す。

「………、ああ、手を狙うだなんて。私、医師なのですよ?」
少し相手を非難するように声をかける。
デルゼシータを目掛けてまたしても右手で攘夷弾を投げる、細かい狙いは付けられないことが分かった為彼の身体全体を目掛けた。
投げた焼夷弾は仮面に当たる。
バキッと音が鳴りクモの巣状のヒビが入った。
「……ってぇ」
「ああ申し訳ありません、次は頭以外を狙いますね。」
言葉の通り心底申し訳なさそうに謝罪をして、左手で焼夷弾を構える。
「へえ?なんか見られたくないもんでもあるんか?なぁ!見せてみいや!」
興味津々。ウィッチの関心はデルゼシータの仮面の下に集まっていた。イライザの方に向けていたはずの旗を、デルゼの仮面を叩き割ろうと回転させる。
「……ぐっ!」
辛うじて形を保っていた破損部位がウィッチの一撃を受けて崩れた。
デルゼシータの顔全体を覆っていた仮面の一部が破壊され、未だ幼さを残すパッチリしたシアンカラーの瞳が顔を出した。
「やべ……!」
まずい、と視界がクリアになった片目を反射的に片手で覆い隠す。

「やめろ!君の相手は僕だろう、こっちを向け!」
イライザは焦った様子でウィッチに向けて銃撃を放つ。動揺が銃にも伝わったのか、それとも威嚇射撃のつもりなのか、彼女の足元を弾丸が貫いた。
「なんや?そんなコイツが大切なんか」
「問題ねぇ!アニキはウィッチに集中してくれ!」
仮面を破壊され動揺したのか照準がブレる。先程のように上手く狙いが定まらない。そんな彼を嘲笑うかのように剤はくるくると黒衣を翻しステップを踏みながらその銃弾を避ける。
左手にかかげた焼夷弾でそのまままたデルゼシータを狙った。
あらぬ所に飛んだと思われた焼夷弾だが、彼の上にちょうどあった照明にぶつかり彼の上に火の雨が降る。傍から見る分にそれは美しい光景だろうがその下で炎を浴びる者は炎の美しさではなく熱に恐怖した。

「ぐあっつ!!」
場所を移り、前転し冷静に燃え移った火を消そうとするが、外套の炎だけは消しきれず放り脱ぐ。
ウィッチが引き続きデルゼに攻撃しようとするのを見て、イライザのレーザー銃は彼女の脚を撃ち抜く。
「い゛った……!ヒヒッ、それ、おもちゃじゃなかったんやなあ」
「君の相手は僕だと言っだろう、逃がさないよ」
「おお、怖い」
逸れた関心を再びイライザへ向ける。足は撃ち抜かれたがそれで狼狽えることはない。だって彼女の脚はまだ動くのだから。

「デルゼ、こう思いませんか?炎は最も美しくて合理的な投薬です。殺して燃やして殺して燃やして、そんな事をしていたら救える方も救えません。」
剤は左腕に銃弾を浴び、その手に持っていた焼夷弾を床に落としてしまう。ゴウと足元で燃え広がり続ける火を軽く避けながら少し曇った表情で問いかけた。

「それに、ユークロニアならことさらに効果的です。遺体を残しておいて、また再生されては敵いませんから。」
「……そっか。残念だけど、俺にはお前の考えには賛同できねぇや。人道的にも、合理的とも思えねぇ」
投げられた焼夷弾がデルゼシータの仮面を直撃する。
片側が壊れつつもなんとか体裁を保っていた仮面はその衝撃で外れて床へ落ちてしまった。
「……もう顔には当てないんじゃなかったっけ?」
痛そうに額に手を当て、デルゼシータが表を上げ面様を露わにする。

その瞬間、剤の記憶からかつて魅せられ憧憬してきたサーカスの映像が引きずり出される。

小さな瓜二つの金髪の少年が鏡合わせのように踊る、奇妙で心躍る姿。無邪気に人々を弄ぶ子供の残酷な一面をまざまざと見せつける姿。
その団員の名はD-469とセオドア・フラーテル。
デルゼシータの左右で異なる、シアンとマゼンダの瞳が彼らを祖とすることを嫌でも示していた。
剤だけではない、ウィッチもその光景に思わず目を奪われる。
「…………ほう?イヒ、ヒヒヒッ……!!ハハハハハッ!!!なあんや!その仮面の下ってそういう……ええ、ええ!!左様で御座いましたか!素晴らしい!!」
ウィッチは歪に口角を上げると興奮した様子でデルゼシータに語り掛ける。
「まさか、かの毒蛇のサーカス団を二回もお目にかかれるとは!ああ、勿体ない、この舞台が見られない観客共が哀れで仕方ないわ!……剤、イライザは任せた!D-469。私と舞って下さいませ!」
「えっ、ウチ、貴方待ちなさい!!」
声をかけるがこうなってしまった彼女に何を言っても無駄だろうと思い直す。
「…………、」
デルゼシータ、その相貌を見て何かを言おうとするが、後ろ髪を引かれる思いで目を逸らし、この状況を作り出した指導者に向き直った。

「サインはいらないの?」
片方の口角を上げ、歓喜に踊るウィッチを挑発する。
「それなら私のこの体に刻んでくださいませ!」
狂ったように踊るように武器を振り回す、その姿はようやく彼女の役者としての本能に火がついた様子であった。
ウィッチ・ゼロトリーが旗を一振りすると、イライザのドローンを槍の着いた先端で一閃。たちまち周囲は爆風に包まれる。
それは舞台によく使う演出のそれと似ていた。
「命の軋む苦悶の音は史上の歌声。流れる血液は舞台に跳ねる小さな踊り子。舞台に命を捧げた誇り高き意思は、畜生の浅ましさを克服した!」
狂人はそう高らかに謳う。どう見ても彼女は今、正気にない。……いや、彼女が正気であった時なんて存在したのだろうか?
「さあさあ命を賭けてご覧あれ、我らがブラックウィドウの舞台であるぞ!」
そう言うと、デルゼシータの首を掴む。

動脈が締まる。頭の中で行き場をなくした血液がぐつぐつと沸騰したように茹だっている。
体の力が抜けていくのを感じるだろう。
「グ……ッ!」
ウィッチの手首を掴み力の働く方向が垂直になるように力を入れる。
人体力学に即した護身術で抵抗する間もなく引き剥がされる。
このまま彼から離れなければ、腕を後ろ手に回され拘束されてしまう。
「……アハ、ええやん盛り上がってきたんちゃうかあ!?」
ウィッチは彼の膝を蹴り、飛び退くようにしてデルゼシータから離れる。

イライザはデルゼシータがウィッチを引き剥がしたことを確認すると改めて剤に向き直す。
「さて……ひとつ話をしようよ。僕がいつ灰からクローンを作れないって言った?P.N.Gさんにタントさん、デリックさん。彼らの遺伝子は今クローン生成所で解析されている最中だ。時間はかかるかもしれないけれど、いつかは必ずクローンとして再生するよ。そして君も……ね。」
「………、ありえませんね。」
「彼らの遺体は、私が焼いてしまいました。無傷の細胞核を取り出すのは困難、いえ、不可能です。それがなくてはクローンなんて、………」
そこまで話して最初に感じたのは違和、彼の堂々たる態度、古ぼけたビデオテープの登場人物の再現、実際に見せてもらったジルの義足から感じたユークロニアの技術力、…全ての要素が彼女に不安をもたらす。

もし、ここにいるのが、P.N.Gなら目の前の獲物に集中できたのだろう。
タントならこんな些細な事を気にせず演目を楽しめたのだろう。
デリックならそんなものと一蹴できたのだろう。
たらればの話をしても仕方ない、今、ここにいるのは剤だ。
上がった息、ふらつく足、火照った身体。それに反して脳だけは嫌にクリアに冷えていく。
横にいる患者のように正気をなくせたらどんなに楽だろうか。
「…………………、だったら、だったら、なんだというのです。では、生成所を破壊します、そうすれば……全て解決です。」
彼女に大きな戸惑いが生じたことは明らかだろう、声音がひきつって焼夷弾を握る手が震えている。

「無理だよ。君じゃあ生成所が何処にあるかなんてわからない。デルゼシータ以外の人は知らないし、僕も彼も教えない。だって僕達は、この幸福の街を守る為にここに居るから」
彼は無表情で、貴方を追い詰める一手を打ち続ける。
彼の真っ黒な瞳に浮かんだライトブルーの十字が輝く。まるで、貴方の心なんて全て見透かしているとでも言うように。

「君は医者なんだよね。人の生を病として、治療と称して殺害する。……そんなの、ただのエゴの押し付けだ。全人類の人生が苦しみで満ちていると思うなよ。幸せに暮らす民からすれば、君は立派な略奪者だ」
優しく、穏やかに微笑むとイライザは言葉を続ける。
まるで、自分が全てを受け入れる理解者であり、全てを救う救世主であるとでも言いたげな、神様気取りの笑顔だ。作り物のその表情は、あまりに完璧である。
「でも、君だって好きでそうなった訳じゃないよね?大丈夫だよ。僕は、君に幸せを教えてあげたいんだけなんだ。僕が君を治してあげる。だから、どうかのこのまま僕に殺されてくれないかい?」
「ぁ"」
レーザー銃が白い腹を貫く。

陶器のような白い頬が青くなっていく。しかし、それはきっと、傷を与えられたからでは無い。
今の手持ちでこの国を燃やしてしまえるだろうか?いいや、それは無理だろう、火薬の量が絶対的に足りない。
生成所の場所も指摘された通り分からない。ちょっとやそっとじゃ見つからないだろう、厳重に閉ざされているであろうことは容易く想像がつく。
何度も何度も考えても、最悪の予感が頭を埋め尽くす。
泣きわめきもせず、次の一手を考える。多くの反論が頭をよぎってはその言葉を紡ぐのを躊躇してしまう。
彼女は理解していた、これに今、逆らったら、自分がどうなってしまうか。
「違う、嫌だ。」
息が荒い、心臓が痛い、だからこんなもの早く手放したいのに。
彼女は信じている、死は幸福なものだと、幸福になれるのだと。なのに、なのに、このままでは"せっかく死んだとしても天上に行けない"。
「い、嫌………死にたくない………。」
漏れ出る言葉は全て震える。
それは、自身にすら治療を望み続けた彼女が初めて生にすがりついた瞬間だった。

「……じゃあ、僕と取引をしない?」
イライザは目を細めると、貴方に手を差し伸べる。その手は、まるで本物のように精巧な映像だ。
「僕達の味方になって欲しい。君の知っての通り、殺人サーカス団からユークロニアを守らなきゃいけないんだけど、少し苦戦していてね。そうすれば、君だけは見逃してあげるよ」
「…………、……私、だけ、」
まん丸に見開いた人形のような瞳がイライザを見つめる。
「ウチ、は………」
「更正の余地があるなら殺さない。僕だって本当はこんなことしたくないからさ」
「…………、…………ウチは、ウチは生かしておいた方が、Blackwidowの不利益になるでしょう。」

「彼女は私の患者ですから、私が一番分かっています。彼女の制御ができる人間があそこにはいないことを。」
「私は、貴方につきます。だって、ノウナシについていったところで、貴方に敵わないでしょうから。」
赤く輝く炎のような瞳は一点、暗い絶望を讃えている。
両の手袋を脱ぎ捨て、醜いケロイドが形成された右手を彼の手に伸ばした。
イライザの手と剤の手が重なった。すると、まるで彼に手を握られたかのような、奇妙な感触を味わうだろう。
「じゃあ彼女は殺そう。剤さん、やってくれるね?」
「………、かしこまりました。」

何を血迷ったのか焼夷弾を自分の腕に当て割ってしまう。
黒衣はまたたく間に神々しい炎を纏った。熱さなど感じさせない軽いステップで魔女帽の少女の手を取る。
「ウチ、私のダンスはお好きでしょう、沢山褒めてくださいましたもの。一度体験してみませんか?」
彼女の軽い体を自身に向き直させ、楽しげな歌を口遊ながらリードする。
剤の表情は変わらないが、黒い装いに熱が移ってゆく。
「剤……!?おい、イライザは任せた言うたやろ、何を言うとんねん、ウチはD-469と戦うんやからそんなんしとる場合とちゃうやろ!」

突然の剤の行動に驚いた様子で剤の手を振り払おうとした。そんな彼女を見て燃え盛る火の中、小さな声で耳打ちをする。
「ウチ、お願いですから、この一曲が終わったらシュルのところまで行ってくれませんか。このままではサーカスが続けられなくなってしまいますよ。」
それは彼女のせめてもの抵抗であった。
「は……?言っとる意味がわからんな。離せや!」
残念ながら今彼女にとっての最優先事項は、D-469との舞台だ。その為ならかつての団員であり、頼りになる主治医であり、家族のように過ごした仲間である剤の腹を旗の槍部分で貫く事さえ厭わない。
ウィッチは剤に向けてぎらりと光る先端を突き出そうとする。
しかし、旗の先端の先に剤はいなかった。

代わりにデルゼシータの腹に深々と突き刺さり、彼の口からは赤黒い血が吐き出される。
寸でのところで、デルゼシータが剤を突き飛ばし庇ったのだ。
「お前のサインは、要らなかったんだけどな…」
傷口から暖かい血液が勢いよく体外へと流れてゆく感覚は、デルゼが迎える数十回目の死である事を示唆している。
血色の視界には、ホログラムのイライザが青白い顔を更に青くさせていた。よかった、剤は無事だ。デルゼがそんなことを考えていると、力の入らない体は旗ごと地面に倒れ伏せた。
「テディ……!!」
先程まで余裕たっぷりで剤に語り掛けていたイライザはぼろぼろと涙を零しながら、必死にレーザーを照射して傷を塞ごうと処置をしている。
そんな事をしても無駄な事は、人工知能である彼は一番分かっている筈だろうに。彼の流した涙の雫は、落ちることなく空中に霧散してゆく。

「……ど、どうして剤の事を庇ったりしたんだ……!」
「ごめん……アニキ」
血を吐き出しながら、ささやくほどの小さな声を漏らす。
彼ははなんとか傷を塞ごうと奮闘しているが、その甲斐もなさそうだ。血液を大量に失ったせいだろう、視界が徐々にブラックアウトしていく。酷い耳鳴りがして手先が酷く冷えていくのを感じた。
「アニキ……ごめん、もう…大丈夫だから……」
デルゼシータは治療を止めるようにいい、その場から離れるようと身体を引き摺って行く。
早く、みんなから離れないと。
アニキ、ごめん。本当にごめん。
アニキを悲しませたくなんてないのに。
ごめん、ごめん。でも、こうするしかないんだ。
剤が死んだら、世界から俺のことを知っている人がまた一人消えてしまう。
ずっと、ずっと辛かった。
ミミクリーのときも、ジルのときも、アイザックのときも。みんなを不安にさせたくなくて取り繕って気丈に振舞っていたけれど、身が裂けるように辛かった。
手帳に震える文字で記された独白で、よく知っている。
サーカスの奴らが死んだときもそうだった。俺はアイツらと長く居すぎてしまった。
アイツらは俺をよく知ってしまった。
……そう。ファミリーが傷ついて、死んで、それで悲しい"だけ"じゃない。
人が死ぬ度に、世界から俺が少しづつ消えていくみたいで。それか辛い。
……ただの俺のわがまま。この気持ちはアニキに話したことはない。
話さない方がいい。そんな気がする。
俺の身勝手でアニキを泣かせちまうなんて、ホント、最低だな……俺。

ごめん…ごめん。もっとずっと、一緒にいたかったよ。

ある程度離れた場所に来た。これ以上は体を動かせる気もしない。自然に身を任せてもいいけど、その間に誰かが俺に近づいて来てもよくない。
最期くらい、笑顔でいよう。
そうしたら、少しくらいは……アニキは……

「……ア、ニキ。ごめん、ね。…あり、がとう。だいすき」
ガンガンと頭の中で鳴る警鐘の間から聞こえたイライザのいる方へ振り向き、微笑を浮かべる。
そして、残された僅かな力で銃口を胸元に引き寄せ、引き金を引いた。

……バンッ!

デルゼシータの身体が弾けた。
拳銃で撃ち抜かれたから、それだけではない。
頭が……弾けたのだ。

「……は?……嘘や、嘘や、認めへん、こんなつまらん死に方……!もう一回や。もう一回演らせろ!今度は綺麗にウチが殺したるから!なあ!!」
動揺した様子でデルゼシータの亡骸を揺さぶる。
そうして慌てふためくウィッチ目掛けて剤は焼夷弾を振りかぶる。
彼女の頭を殴る。その動作にサーカスらしい華は無い。淡々と、その業務を遂行するためだけのものだ。
「もう一回、もう一回や!!こんな舞台、」
ウィッチが殴られたのはそう言いかけた時だった。
彼女は殴られ、その勢いのまま地面に倒れ伏す。床には彼女の血液が広がってゆき、そして、そのまま起き上がることは無い。
サーカステントの舞台の上で、華やかな演出をされながら、たくさんの観客に囲まれて拍手の中で迎える。
彼女に「どんな風に死にたい?」と聞くのであれば、そう答えたであろう、その望み。
それは叶うこと無く、彼女の命は静かに消えていった。

「おやすみなさい、熱狂の魔女、貴方こそ価値なく生きた"脳無し"の主。」
「皆様、王と言うには分不相応、小さな少女にどうか盛大な拍手をお送りください。」

誰に聞かせる訳でもない小さな小さな幕引き、1人で手を叩く。
その拍手の音に、もう一人分が加わる。イライザは時々涙を拭いながら、剤と共に彼女の最後に弔いを捧げた。
「ありがとう、お疲れ様。……さあ、改めて君をこの街の一員として迎えよう。さあ、僕についてきて」
「ええ。」

「………さようなら、Blackwidow。」

ボタンをもうひとつ、それは彼女がサーカステント自体に仕掛けていた起爆剤だった。遠く遠くから聞こえる破裂音を聴きながらその目でちらと床に伏せる2人の姿を見る。
恐らくここは数時間も持たず全てが灰と化すだろう。
少し前の自分ならば彼らの姿を見て羨ましいと、本気でそう思っていた。 
大切な人に看取られて生涯を終える。
永遠の苦しみから開放される。
もう、きっと、どちらも自分には叶わない夢だ。
それにー…………

どうせデルゼシータもウチも、また、生まれなおすのだろう。
愚かなAIの手によって。

そう思うと、もう憧憬も哀れみすらも湧かなかった。
舞台は消えた。観客も役者も居なくなった。第八幕は、こうして幕を閉じる。
「……その手、大丈夫?君さえ良ければ綺麗にしてあげるよ」
ふと、イライザは剤のケロイドがある手にちらりと見るとそう問いかける。
「……………」
ふと、自分の両の手の甲を見つめる。
右の手の甲にはケロイドとデルゼシータから受けた銃痕が、左手の甲には蜘蛛のタトゥーが残っている。
「結構です、これが私の信じている幸福ですから。」
それらを庇うように手を組み、困ったように微笑んでみせた。


シナリオ ▸ 五臓六腑
スチル ▸ はむにく 加工済み魚類 匿名スチル班 比喩的
ロスト ▸ T.R.デルゼシータ ウィッチ・ゼロトリー
エンドカード  ▸ 加工済み魚類
イライザのCSが公開されました。
T.R.デルゼシータの裏CSが公開されました。
ウィッチ・ゼロトリーの裏CSが公開されました。
両陣営の事前情報が公開されました。
act 7
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