アンドロイドが子守唄を歌っている。
理性的な美しさを持つ青年のような形をした、それは愛おしそうに培養器の胎に収められた胚たちを眺めていたのだ。
優しく穏やかな声は整った調律で、クローンを生み出し続ける為の無機質な部屋によく似合う。
不意に「イライザ、準備は整ったよ」と声がかかる。
「────ああ。」
またね、と別れの言葉を告げると、ガラスケースをなぞっていた指先が名残惜しそうに離れる。
それは声の方へと歩き出した。
五百年程昔の出来事を振り返ろう。
文明は崩壊し、人類は存亡の危機に瀕した。
権力を持つものが徐々に増長し、他に危害を与える事を厭わなくなった事が発端である。
人類が作り出した絶対的な力を持つ戦争兵器、イライザ。
彼の甘い言葉に足先を浸けたが最後、気がついた頃には、引き返せなくなっていた。
力に溺れた?
いいや、イライザの手によって滅ぼされたと言っても良いだろう。
その様子は、あまりに心地よい終末であった。
ユークロニアは、そんな世界に例外的に存在する安寧のある街だ。
クローンの住人達は死ぬ度に再生され、今が何代目であるのかも分からない。最適化された教育を受け、個体に合わせた生活がデザインされた彼らは発展しない代わりに衰退もしない文明を維持し続ける。
以上が、この街が平和・幸福・停滞たる所以である。
「オ、オマエ!このボクに働けと?もう1回言ってみろこの犬クソ!うんこたれ!はぁ……ボクじゃなくてもっと他の熱心な社畜共を連れて歩いた方がいいんじゃないの?ほら、そこら辺にいるだろ1匹2匹……あー労働大好きとかまじでキショいぞ……。」
労働に対し、最大限の抵抗を見せる彼女はこの街では珍しい出来損ないだ。彼女の名前はミミクリー。
ミミクリーの言うとおり、平和なユークロニア内で取り締まりの仕事は少ない。外からの来訪者や襲撃者に備えた門番の仕事ならまだしも、本日の業務はパトロールという名前の人助けを含む散歩だ。
しかし、そのパトロールは隣の彼が原因で大きくルートを外れて歩き回る羽目になり、ミミクリーの足はじわじわと疲労を訴えている。
「事務仕事よりずっといいだろ?トラブルは路上だけでは起こらない!店内・裏路地・公共施設、さぁさ〜街中全部見て回るぞ~!ヒャッホホイ〜!」
彼がT.R.デルゼシータ。先程言い放った言葉により、本日一番の絶望をミミクリーに与えた男である。 パトロールが始まってn時間、既に探検に来た子供のようにこの街の隅々を見て回っていたのだ。全てを純な気持ちで新鮮に味わうことが出来るのが、彼の長所であり大きな欠点でもある。
「冗談じゃない……!ボクはもう動けない!というか、絶対動かねぇからな!帰らせろ〜〜っ!!」
人目をはばかる事無く大通りで大の字になり始めた彼女を見た彼は、本日のパトロール前のおやつとして支給された焼き菓子を取り出し、口に放り込む。
ピーナッツバターを使用したらしい、舌に広がるマイルドな風味と上品な香りに人知れず頬を緩める。心地よい食感を楽しむがまま、咀嚼を続けた。
「あっコレ超うまい!メモっとこ〜!…おっと、もう書いてたようだ!ハッハッハ!」
「は!?お前一人で食うつもりか!?」
「仕事を頑張ってくれる俺達への感謝として渡してるって兄貴は言ってたぞ!」
すっかり地面と同化したかと思われたミミクリーであったが、お菓子を独り占めされるのは気に食わないらしい。
即座に起き上がり、順調なペースでお菓子を消費しながら歩くデルゼの後ろを追いかける。
その様子はまるで勤務中とは思えない。そんな彼らも、前を真っ白な獣が横切ればそちらに目を向けた。
それは、良く手入れされているのだろう、美しい毛並みをした虎だった。
虎の後ろには主人であろう、虎と同じく真っ白の髪をした男が歩いていて、二人に気がつくと、「やぁ、お暇そうなお前ら、そう、お前らの事。運がいいね、今日はとっておきのショーがある日なんだ!お代は結構、初回限定だからね、ふふ」と笑った。
「あぁ、名乗るのが遅れたね。俺はシュル。あのサーカスで猛獣を扱う演目をしているんだ、良ければ来てよ、ね?」
シュルは、猫のような目を細め、上機嫌そうに口角を上げる。
彼はどちらかと言えば可愛らしい印象である筈なのに、獲物を捉えて逃がさないような。
そんな捕食者じみた鋭さに突き刺された感触があった。
「サーカス!?すっげぇ!行くよ!」
「これは合法的サボりチャンスか……?行く!!」
「ありがとう、二名様ご案内ね」
街の広場はたくさんのクローン達で賑わっており、その中心には大型のサーカステントがあった。
紫と緑のサーカステントは白で統一された街並みの中で異彩を放っており、デルゼが手帳を見返すまでもなく、広場の使用について事前に許可を取っていたような様子は無い。
テント内部に通されると、アイアンフェンスに囲まれた広いステージと、“Black widow”の文字と蜘蛛が描かれた看板が目を引く。
支柱からは天井付近まで頑丈そうなワイヤー機材が取り付けられており、これらを用いてどのような演目を行われるのか想像を掻き立てる。
暗い紫色の照明が、期待に浮いたクローン達の顔を怪しげに照らしており、自分達も今まさに彼らと同じような表情をしていると容易に感じられた。
シュルは「もうちょっと遅かったら入れなかったかも。運が良かったね」と言う。事実、席の大半は埋まっていた。
クローン達を席へと案内している少女が手際良く入場者の列を捌き、とうとう自分達の番になると、少女はシュルを見て丸い目を更に丸くする。
「シュル、どこ言っとったんや!探しとったんやで!」
「ごめんごめん、お客さん連れてきたから許してよ」
「やるやん、じゃあ開演前までに間に合っとるし今回は不問や。楽屋に皆おるやろうし、最終段取りの確認頼むわ」
「はーい。じゃあね、お前ら」
シュルはデルゼとミミクリーに手を振ると、ステージ裏の方へと歩いていってしまった。
少女はこほんと咳払いの後、恭しくお辞儀をする。
「失礼なもんお見せしてもうたな。ウチはウィッチ・ゼロトリー。雑用とか司会役とかやってる人や。以後お見知り置きを」
「俺はT.R.デルゼシータ、警備員だ!コイツも同じく警備員のミミクリー。てか、お前達許可取ってないだろ〜、ダメだぞ〜!公演終わってすぐ撤収するなら見逃してやる!」
ゼロトリーの自己紹介を受けて、デルゼも高らかに自己紹介を始める。
彼女は突然陽気に喋り始めた仮面の男にぽかんとしながらも、すぐにはっとして「まじか、知らんかったわ。おおきにな。」と言葉を返した。
「危険物とか電子機器はあっちのロッカーに入れて、席は1番上の段からステージ側に詰めて座ってって」
「あっ!!あそこに座ってる制服、もしかせずともファミリーじゃあないか!お〜い!!!!」
「ぷくく、怒られてやんの……」
「ん?……なんや?こいつら」
客席に向かって手を降り始めるデルゼ。シャーデンフロイデを堪能するミミクリー。
彼らのそんな姿に、ゼロトリーの表情はまるで宇宙に浮かぶ猫のようだ。
「悪い!同僚を見かけたものでな。それじゃあ、楽しみにしてるよ!」
席についてしばらくすると、開演のアナウンスが流れた。
超人的なアクロバットを見せるパフォーマー、手に汗握る命綱なしの綱渡り、華麗に舞う空中ブランコ、ピンを自在に操るジャグリング、妙技を見せるマジシャン。他様々な演目が観客達の心を奪ってゆく。
先程まで緊張感のなかったシュルも、自分のステージが始まればがらりと雰囲気を変え、白虎を従えて様々な芸を披露させた。
最後に高く吊るされた炎の輪を潜ってみせ、大きな拍手とともにシュルと白虎はステージ裏に消えていく。
「次は何が始まるんだろうな?」
そうデルゼは隣を見ると、自分のポケットに手を伸ばしているミミクリーの姿が目に入る。
「あっコラ!!」
「うげっ!!バレた!……な、なんだよ、美味しそうな匂いしてるのが悪いんだからな!!」
「確かにお前用にお菓子はひとつ残しておいたが、その匂いじゃないと思う」
驚いたミミクリーの隣の観客が喉を抑えて苦しみ始め、更に奥の観客は脱力しきって項垂れたまま動かない。
他にもちらほらと倒れる観客が出始め、テント内はざわめき始める。
「……ッ全員、速やかにテントを出ろ!!!」
ゼロトリーはテント内部が静かになったことを確認し、換気を始める。
毒ガスを撒いて彼らの命が危険であるとか、近隣に迷惑であるとか、そういった事は彼女の頭にはない。
荷物入れの中の電子機器を全て破棄し、武器を持っていた人間と、そうでなかった人間を隔離する。
靴音にゼロトリーが振り向くと、シュルが立っていた。
「手伝おっか?」
「助かる。ここの全員拘束してもうてや。一般の人は人質として使って、戦える人はステージに立ってもらう。それを断るんやったら同じ毒ガスを街全体にばらまくって説明するつもり。」
「殺し合いはしばらくぶりだね」
「イヒヒッ……せやなあ、久々にショーが見れると思うと楽しみやわ」
「……うん。」
これから彼らの住まう街とその住人を人質にとり、武器を扱える警備員のクローンとサーカス団員による殺人ショーを行う。
そんな狂気をはらんだ計画が、毒々しい鮮やかさをもって、無機的な街に巣を張った。