episode 1


ここでの生活が始まってはや一ケ月が経つ。生活必需品から嗜好品まで用意され、過ごしやすく設計された部屋も与えられた。突然監禁されて不審ながらも、ある程度の荷物も通り見知った仲間達も一緒であった事もあって此処に徐々に馴染んできた人も居た。

戦ってもらう…とは来た時に説明されたが、特になにかされることもなく。 自分達は大丈夫、きっと助けが来る。そう思って事も無げに日々を過ごしていた。しかし、とうとうそれも今日で終わりらしい。

全員集められ、連れられた先は地下室だった。カメラの並んだ円形の闘技場が異質な雰囲気を醸し出し、ぞわりと寒気がする。 履いた吐息は透明に空気を揺らし溶けていった。三月の気温より寒い気がしたのは精神的なものだろう。

 

「着きましたね。皆様そちらの階段から観客席にどうぞ。…事前に通知させて頂いたお二人はここにお残りください」 

「こっちだよ。ちょっと暗いから転びそうだったら掴まってね」 

優しい口調と裏腹に有無を言わなさない、と赤の十字の目が細められる。一人、また一人と観客席に移動していき、残ったのは

 

「悪趣味な組み合わせ」

 

そう口から零したのはのは誰だったのだろうか、いや、ここに居る軍人皆が思ったことだ。だって残されたのは恋人同士のロジェとユノだったのだから。

 

後ろを見ていると隣を歩くエリザに腕をつつかれる。もうすぐ階段が終わるようだった。転びそうになる前に知らせてくれたのだろう。

 

「ねえ、…ギャンブルは得意かい?」

→得意じゃない

 

「そっか…なら、苦手なりにどちらかに入れてくれたんだね」

 

そう言い微笑むと紫の髪を揺らし、また質問をして来た。緊張をほぐそうとエリザなりの気遣いなのかもしれない。

 

「きみはどっちに入れた?」

→ユノ=リリアーナ

 

「そうか!ふむふむ……ぼくはね________」

 

 

 

 

「ロジェ様、ユノ様。戦闘開始まで入口にてお待ちください。貴方達が初めての戦闘になります。応援していますよ。」 

 

互いに顔を見合わせ目を見開き顔を青くした。

 

「まさか、嘘ですよね?……応援なんてご冗談を」

「本当に仲間同士で……ロジェさん…嫌!私嫌よ!」

 

 

ピグマリオンへ非難の目線を向けるも薄らと浮かべた微笑みを崩す事は無く、淡々と次の言葉を紡がれる。

 

「ロジェさん……私が相手だからって手加減はナシよ?」

「ふふ、当たり前ですよ。僕も全力で行かせてもらいます。……行きましょうか」

 

2人で足並みを揃えてピグマリオンの後へ着いていく。

 

重たく重厚な扉は随分と大袈裟にギィ、と不快な音を鳴らした。

スポットライトが眩しくて見慣れていないロジェとユノは目が暗み咄嗟に腕で目を覆った。

目が慣れ、辺りを見回すとそこは何も無い、コンクリートが広がる円状の閉鎖空間だった。

 

天井が果てしなく遠く、スポットライトが嫌なくらいに眩しく背中をジリジリと焦がしていく。

観客席にはよく見慣れた仲間の顔があった。ある者は顔を覆い目を逸らし、ある者は真っ直ぐにこちらを見つめ、ある者はこの2人の憐れな運命を悟り泣いていた。

 

ピグマリオンは中央へ立つとコロシアム全体に響き渡るように声を轟かせる。モニターやスピーカーがあるのでそこまで大きな声を出さずともいいのだが。

 

「初めてですので、まず戦闘についてご説明します。 一対一でどちらかが敗北、又は降参するまで戦闘して頂きます。」

 

降参、その単語にロジェは反応した。

 

「……降参ですか?」

「ええ、降参も可能です。私個人としてあまりして頂きたくないのですが、それもまた選択の一つでしょう。」

「降参、そうか…そういう手も」

 

何やらぶつぶつと唱え考え込んでしまった。

そんな事はお構い無しに次々と機械的に話続ける。

 

「あぁ、…『敗北』と称しましたが、それは死です。勝つことの出来ない軍人に与えられるのは死です。それはここでなくとも、戦場と名のつく場所では同じことでしょう?」

 

わかってはいたけれど、明確に敗者には"死"しかないと言う事実を突き付けられて顔が歪む。

 

誰にも死んで欲しくない、かと言って自分も死にたくない。対立する衝動にくらくらと目眩がするようだ。

ふとロジェがユノの顔を見ると大きな瞳は不安げに揺れていて、ユノと同じ顔をした自分を写していた。

言葉を掛けようにもどれも相応しくない気がして開いた口が僅かに空気を揺らして再び閉じた。

 

「賭けについても併せてご説明致しましょう。

これから戦闘をするお二人以外の方は上の観客席に移動して頂きました。それぞれ9枚ずつこのコインをお配りします。…便宜上『セラムチップ』と呼びます。」

 

ポケットから1枚の、カジノへ行ったことがある者はよく見慣れた円状のチップを取り出した。

「このセラムチップをお二人のどちらかに必ず賭けて頂きます。必ずです。賭けたセラムチップは、勝てば2倍になって返ってきますし、負ければ無くなります。持っている数だけお好きに賭けて下さいませ。」

 

「チップが無くなったからと言って、ペナルティはありません。救済措置はございます。それはまた、その時にご説明致します。」

 

コインをしまい、すぅ、と一呼吸置く。すると彼女の纏う空気が一変する。

 

「準備は宜しいですか?」

 

ピグマリオンは互いの顔をゆっくりと見渡す。

 

なにも言わないのを肯定と捉えたのか右腕を真っ直ぐに振り上げ

 

「それでは只今を持ちまして戦闘開始と致します!」

 

勢いよく胸の前へ振り下げた。

 

それを合図にユノは意を決したように花嫁のブーケを模したナイフをロジェの右腕に突き刺した。何度も何度も味わった事があるナイフが人肉を切り裂き侵食していく感触が指を伝って全身に伝わる。私は今愛おしい最愛の人を殺そうとしていると。

 

「ごめんなさいっ……」

思わず謝罪の言葉を漏らす。

 

「っ、手加減は無しと言ったのはボクですから………こちらも、しませんよ」

 

ナイフが突き立てられた場所は痛いはず、それなのにロジェは僅かに眉を顰めただけで挑発的な笑みを口元に浮かべた。

まるでユノの不安を取り除くかのように。自分達は今は紛れもない命を奪い合う敵同士だと告げるように。

 

「……望むところよ」

 

双剣を抜き出すとユノに向けて突き付ける。それでも、応と答えた彼女への誠心誠意としてそのまま切り裂いた。勢いよく噴き出した血が純白のベールを、ウエディンググローブを染める。

 

花嫁になれないまま、死ぬ訳にはいかない。

 

「私は死にたくないの…!漸く覚悟が決まったわ。こちらも本気で行くわよ」

 

「よかったです。本気でない人を切る程に鬼ではないので。」

 

もう、やめて欲しい。

……どうか。どうかこの二人を解放してあげて。観客席で誰かが呟く。

 

その声は、スポットの当たる中央には届かない。

 

武器を振るう。傷がつき、血が流れる。その繰り返しでまるで初めからそうであったかのようにコンクリートには血が染み、赤い絨毯が敷かれたように見えた。二人の体力も無限ではない。どんどん動きが鈍って、弱っていき、いずれは…

 

その先を想像するのは、とても簡単な事。

 

嫌だそんな結末。何とか止めないと。

この二人であれば、自分達全員でかかれば力でねじ伏せられるのではないか?

状況を確認すべく周りを見やると、何台もの監視カメラの下に銃機のようなものが多数ついている。

 

途中で呼吸が止まり、ヒュッと音が鳴った。

 

全ての銃口が自分に向いているような錯覚に皮膚が粟立つ。

 

なんだあれは。このような命が危険に晒される場所にずっと座っていられないのか?逃げたい。次は彼処で戦うのが自分かもしれない。そんな妄想から椅子がガタガタと揺れる。

 

______どうやら勝ち目は最初から用意されていないらしい。

 

なら、何をしても無駄だと言い聞かせてここに座って居るしかできない。

エリザが跪き、「どうしたの…?具合悪い?」と声をかけてくる。特に何も持っていなさそうな所を見ると、あの銃は別の人が操縦するのだろうか。

「大丈夫」と返すと、無理はしないようにと告げて立ち位置に戻った。

 

目線を中央の2人に戻せば血で染った身体を翻し命を削って戦っていた。出血量はさらに増え、池溜になっている。脚を動かす度にぴちゃぴちゃと赤い池溜まりの飛沫が飛び跳ね汚していく。

 

「……だいぶ余裕がなくなってきたわね」

「……ユノさん」

戦闘中断とでも言いたげに片剣を持ち替える。

 

「ユノさん、相談があるんです」

「……どうしたのよ」

 

ユノもナイフを構える姿勢を崩したのを見ると、ロジェは意を決して言う。

 

「ボクに降参させてもらえないですか?……考え無しじゃないです。取り敢えず、聞いて欲しいのですが……」

「…ええ、いいわ」

 

「あの口振りだと、降参にペナルティがないのでは、と思ったのです。でも、ボクはどんな形であれ、あなたに負けて欲しくないです。死ぬことはなくても」

 

乱れた息のまま、一生懸命に言を尽くす。ロジェは、このまま説得し通すつもりだ。

 

「……本気で、って言ったのに。って思いましたか?そうですよね……。ボクだって本気なつもりだったんです。でも、どうしてもあなたを斬る度に死んで欲しくなくて仕方が無くなっていくんです」

 

段々と声は小さくなり震える。

 

真っ白なあなたがボクの手で傷付き赤く染まるのはやはり耐え難かった。

 

「ごめんなさい、ボクの我儘です。聞いて、もらえますか?」

 

無理やり口角を上げた少し歪で下手くそに笑ったロジェがユノの瞳に映る。降参したって何かあるかもしれない。

そして何かを被るとしたら、ロジェの方だ。それにも関わらず、こちらを安心させようと健気に笑ってみせた。

 

その姿に胸が打たれない訳がない、だって大好きな人が自分を想ってこんなにも尽くしてくれようとしているのだから。

 

「…………なによ…そんなのずるいわ……!」

 

ぽろ、と涙が零れたのを皮切りに緊張させていた表情が緩む。そのまま薔薇に包まれたナイフが手を滑り、地面に落ちた。

 

「うう……あなたを殺したくない、けど私が死ぬのも怖いの……っ!ロジェさんの馬鹿…っ……ねえ、降参できるなら…そうしましょうよ」

「……そう、ですよね。ごめんなさい、ユノさん」

 

指の腹で透明な雫を拭い、ロジェはピグマリオンを見据え、薄く色付いた唇を開いた。

 

「……降参します。」

 

ピグマリオンが僅かに眉を顰め、すぐに元の無表情に戻した。

 

「降参、ですか。…そうですね、確かに降参することが出来るとは言いましたが…。 ……わかりました。こちら側としてはあまり好ましい選択ではありませんが、許可致します。」

 

こほん、と咳払いをし、声高らかに宣言する。

 

「それでは今回の対戦結果を発表します。…ユノ=リリアーナの勝利!おめでとうございます。」

 

「ありがとうございます…。良かったです」

 

ほっと息をつく。ユノさん、我儘を聞いてくださってありがとうございます…と言葉を続けようとした時。

 

「さて、ロジェ様。降参した貴方にはペナルティとして…処刑をさせて頂きます。 すぐには死ねないと思いますが…それが貴方のした選択ですから。」

 

「……は、」

「え、」

 

誰もが、そうこの会場にいる誰もが、意味を成さない言葉しか口に出来なかった。

 

 

一拍遅れて動揺しきったユノが捲し立てる。

 

「き、聞いてないわよ……!!ちょっとあなた、ロジェさんが死ぬなんて、ねえなんとか言って……っ」

 

そんなユノを見てピグマリオンはくすり、と小さく笑顔を見せた。

 

「降参、がノーリスクでしたら毎回皆様がそうしてしまうでしょ?」

 

人の命を奪う事に何も感じていないのか、全く気にも留めていないようにそう言う。

 

そして黙りこくってしまったロジェを見ると「それではこちらとしても困るのです。」と淡々と続ける。

 

「……ユノさん、あなたが、

死ぬのが、あなたでなくて良かったです。」

 

ボクは心からそう思った。

 

「……馬鹿でごめんなさい。ボクは馬鹿です、ボクも、好きです。大好きで大好きでたまらない、あなたのことを守れなかった」 

 

死を覚悟したように双剣を床に置くとユノと向かい合う。こんな台詞を恥ずかしげもなく言えるのはフランスの血か、これから最期を迎えるからか。

 

「……〜〜っ!!ロジェさんの馬鹿…!」

 

ユノはなりふり構わずロジェに駆け寄った。

 

「ねえロジェさん、私ね、私あなたの事が好き…好きよ…」

 

潔癖症のユノが人に触れるのを嫌がるユノが躊躇いもせずにロジェを抱き締めた。

 

「ねえ、ここで誓ってよ……

病める時も健やかなる時も…死が…二人をわかつ時も……ってさぁ、ねえ……っ」

 

初めてユノに触れられたロジェは少しびっくりしたが、じんわりと暖かい体温が伝わり顔が綻んだ。

 

おずおずと背中に手を回し抱き返した。細くて華奢な身体を壊さないようにそっと。

 

「………誓います。ずっと誓ってました。ごっこ遊びだとしても、ボクは……ずっと、死んだってあなたを愛しています」

 

そう言い切ると、左手を取り何もはまっていない薬指を見る。

ここにお揃いの指輪を飾れたら。

 

こんな所に来る前に、彼女にプロポーズて、軍なんか辞めて…そうしたら……。そうしたら、彼女と暖かな家庭を築けたのだろうか。今は過去の妄想だ。

 

「ごめんね·····決まりだから。ユノさん離れてて···」 

 

エリザが花婿と花嫁を引き離すと、花婿に強くスポットが当たる。

 

処刑が始まるようだ。

 

 

「さぁ、降参されたロジェ様。こちらへお越しください、ペナルティとして処刑させていただきます。」

 

そういうとピグマリオンは処刑用の武器を取り出して最初と同じくニコリと微笑んだ表情のまま_____

 

「……僕が忠誠を誓ったこの国は…間違ってい」

そのまま、綺麗に真っ二つにした。まずは頭が。次に残った方の体が力を失い倒れていく。

 

たった、今まで生きていた仲間の命が目の前で失われた。未だ強く吹き出す血が足元を濡らす。じっとりした感覚にそれが現実であると告げられた。

頭がぐらぐらする。

 

___どうして?本当に?何故?

何故、彼が死ななければいけなかったのか?

優しくて、いつも仲間思いで…少し変わっていたけれどそれでも誇り高く、軍人の鑑のような精神で……悪いことなんて、何も。

 

 「あぁ、すみません、遮ってしまいましたね」

 

悪いことなんて………………。

 

「…まあ、もうどうでもいい事ですが。死人に口なし。そうですよね?」

 

…悪い?

彼は悪くない。……で、あれば。

悪いのはお前か。

 

「この……………っ!!!!!」

 

感情のままピグマリオンに掴みかかろうとした手が叩き落とされる。

 

 

「ま、まって!ユノさん、落ち着いて···!」

 

彼女に危害を加えるのはエリザが許さない。こちらを見下ろす目から僅かに敵意が滲む。

もう用はないとばかりにピグマリオンは悠々と出口へ歩いていく。

 

「戦闘は終わりました。もう控え室に下がって良いですよ」

 

きつく握った手を下ろすと、ピグマリオンから目線をそらす。乱れた白の長い三つ編みを背中へ流すと、眉をひそめた。 

 

「…………気分が悪いわ…」

 

「出血がひどい···まず、治療に行こうよ。そのままだと、きみも···」

「医務室へ連れて行ってください。私も戻ります。よろしくお願いしますね」

 

「……そうね、治療をお願いするわ。ロジェさんはこの何倍も痛かったでしょうけどね」

 

赤のヒールが床を鳴らしていたのが止まる。こちらへ一瞬だけ向き直ると、こう言った。

 

「ユノ様、勝利おめでとうございます」

 

また前を向くと、控え室へと消えていった。

ロジェを殺した際の返り血でも流しに行くのだろう。勝利したって、こんなの全く嬉しくない。

 

………おめでとうございます、なんてとんだ皮肉だ、先程の嫌に綺麗な笑顔が脳裏にこびり付いて離れなかった。

 

 

 

挿絵:沓谷、こあらねこ、ふじ

ロスト:ロジェ=エストレ

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