episode 10


時はどう願った所で聞いてはくれず進んでいく。

とうとうこの日がやってきてしまった。先週について思い返すと、じわりと汗が背を伝う。

サーカス団という存在。

リリア=ベッラによってそれが確実なものとして明らかになりここ一週間の館の雰囲気は最悪と言っても差し支えない。闘技場につくと、電気が落ちて……なんて事がないものか。どうか、あってくれるなと心臓が早鐘を打つ。

そんなことを考えていると、自分以外の姿が観客席へと移動して行ったことが気が付いた。

そういえば一人、闘技場行きのエレベーターへと乗った時から姿を見ていなかった人が居る。

「あの…?どうして私しか……。もしかして、戦わなくて良いとか…無いですか?」

「そんなことはありません。間も無くいらっしゃいますよ。」

ピグマリオンは不安げに見上げるジニーへと澄ました笑みで応える。淡い期待は無慈悲に打ち砕かれた。

カラコロと下駄の音に振り返れば………普段の姿と見違える、金子義徳。

「あっはは!イイねぇ、その顔。役者冥利に尽きるってもんさ。…さて。俺の名はキョウカ。リリアの言葉を借りるなら、軍に紛れる毒蛇の一人だ。」

着物へ浮かぶは大輪の牡丹。目尻にさした紅が喜を滲ませた表情に似合う、色男の姿がそこにあった。

「キョ……キョウカ……え、どういうことですか……い、いや……あの……いや

金子義徳。真面目が服を着て歩いているようなかの仲間の名を口に出そうとして、遮られる。
「ヨシノリじゃないぜ、役名で呼ぶなんて無粋なことはしてくれるなよ?」

役名との発言で、あたかも此方が素であるという振る舞いで。金子義徳を形作るものはすべて嘘吐きの虚構であったと強く現実として突きつけられる。
「貴方が裏切り者だったんですか……
「そういうことだな。カタブツを演じるのは楽しかったぜ、俺と違いすぎてな。」


観客席ではスポットの下の男に釘付けだ。とんだ悪趣味なショーじゃないか、笑えない。
リリアは全て知っていたようで落ち着いた様子で指を組んでいた。他は……一名、深刻に胸を衝かれ、絶句している。気丈に振る舞っていた彼女の手が動揺で戦慄く。

「ラウラさんはしばらくそっとしておいた方がいいだろうね。まるっきり全てが嘘なんて、一杯食わされたもんだ……さて、この戯曲。最後まで踊ってくれるのは誰かな?」
エリザがいつもの通り問いかけ、ふわりと微笑んだ。

→響火

「成程。それは______」
「お前……全部、全部知ってて……!!!」
「きゃ……!」
エリザの言葉を聞き終わる前に、ラウラがユノに掴みかかる。普段の豪胆っぷりはなりを潜め、その手は弱々しくリリアの襟元を崩していた。

「カネコは……カネコが、裏切り者……?そんなの、嘘。否定して。お願い………お前が否定してくれたらっ!!」
「やっ……離してちょうだいっ!!」
パシン、と甲高い音が皆の耳を劈く。
素手での接触を極端に嫌うリリアは咄嗟にラウラの手を払い落としたのだ。それが動揺しきった彼女の最後のとどめとなり、そのままへたり込んでしまう。
………どうして、……
「あ………ちっ違うのよ、あなたを傷付けるつもりじゃっ

_____観客席の誰もがそこに視線を向けていた中、只一人。
ネオのみが、闘技場医務室側の扉へと目を向けていた。
今ならば混乱に乗じてこっそり抜け出せるかもしれない。もし抜け出すならば………“あの場所”へと行くことになるだろう。

→行く


「そこまで!ラウラさん、リリアさん……ごめんなさいは?」
……ごめんなさい。」
困った笑みのエリザが割って入る。リリアに悪意など無くて、しかしカネコが仲間でない事をラウラにまで黙っていたのも事実で。促された通りに謝罪を口にした。その姿だけを見ると年相応の少女のよう。
「いい子だね、そこは変わっていなくて良かった。」
仲介人は安心したように目じりを下げると指を組み直す。一方茫然自失として、とても謝罪を口にすることも受け取る事も出来ない様子のラウラを横目で見る。

そして手を取り立ち上がらせると、喧嘩を止めようと立ち上がった者達にも向け「席に戻ってくれるかい?」とだけ言った。

陰鬱な空気のまま、ネオを除いた四人が席に付く。



______四回戦後医務室への行き来。その間のほんの少しの記憶。
地下の医務室の横に、扉があった筈。
もたもたしている暇はないと、ネオは一人そこへ向かって駆ける。

意識の危うい負傷時だった上に一度しか来ていない道といえど、その扉は意識をすれば簡単に見つかった。
ここまでの道で特に目につくものは天井の通気口のみで監視カメラは設置されておらず、こうして試合中に脱走される事は想定されていないのだろう。

白の壁と同色の無機質なドアに手をかけ静かに開けると、紙とインクの匂いが薫ずる。
室内に扉から漏れた光が差し込む。どうやら中は書庫になっているようだ。
四方の高さのある本棚や、パソコン等の電子機器が複数。倉庫にもあったようなスチールラックの上にいかにも機密文書といったようにファイリングされた幾つもの書類が纏められている。
この書類を

→今すぐここで読む


今すぐここで読むことにした。

何かの数値の記録であり、機械の設計図のようなページ。沢山の英語の羅列が紙の上を埋めつくしているページ。自分には理解出来ない範疇の情報が、理解の出来ない言語で記録されたもの。
特別何かを期待した訳では無かったが、ガッカリとした気持ちが込み上げる。

しかし、沢山の顔写真が埋めつくすページに見知った顔が混じっているのに気が付く。その時ブザーが鳴り響いた。


音の方向を見れば本棚の上の監視カメラと目が合う。正確には、その真下に搭載されている銃口と。
どうしたらどうしたらいい?思考が止まる。神は助けてくれやしない。

「_________っ!!」
ドン、という音。
強い衝撃に体はひとたび宙へ浮く。

撃たれていない。
突き飛ばされた。
気がつく頃には既にバランスは崩れ、視界に映るのは天井と行き場を失った手。

勢い良く地面へとぶつかった頭がワンバウンドする。

…………つくづく甘いな、ぼくも。」
真近自分のいた場所。そこに居るエリザに標準が合うのを最後に見た。

 

 

 

______ジニーは歪に上がった口角で乾いた笑いを吐き出す。


ずっと、私達はこの道化の手玉に取られていた。
恥じるべき過去だと言っていた額には傷一つない。そこ迄も台本の一ページだった。仲間、なんて謳って何一つも知らなかったのだ。

「は……はは……あはは……はぁ楽しかった……そうですか。良かったですね、私も楽しかったですよ、カネコさんとお話したりするのは」

そりゃあ光栄なこったとばかりにキョウカの片眉が吊り上がる。同じ顔の筈なのに表情の切り替わり、纏う雰囲気から別人のように感じた。

「でも、もうこの楽しい時間も終わりですね。」

ならば、罪悪感を感じる事も容赦する必要も無い。ジニーが弾を篭めるのと同時に、キョウカも抜刀する。

「お話は終わった様ですね。戦闘開始!」

退屈そうに会話を聞き流していたピグマリオンの合図と同時に発砲した。
キョウカは煙管を仕舞うとジニーの弾を全て読み切っているように避けると観客席へと顔を向ける。
こぉら、お前ら。もっと俺に驚かねェと。テメェも団員だってバレちまうぜ?」
疑心暗鬼を煽るようにそう言うとその空気を楽しむかのようにふ、と妖艶に笑みを浮かべた。

「いくら毒蛇とはいえよそ見してる暇あるんですか?」
「ハハ、すまねぇな嬢ちゃん!女を前によそ見なんて無礼だったか。」
その顔に傷を付けてやろうと銃口を上げると余程嫌だったのか、そうはさせまいと日本刀を振り下げた。避けきれず、こちらが傷を負ってしまう。
よく研がれた日本刀は鮮やかな太刀筋で肌を切り裂き、生き血でその刀身を彩る。
切り傷の筈がぱちぱち燃えるような痛みが広がった。傷は骨に達する直前だ。神経が焼き切れる苦しみに思わず声をあげるが直ぐに反撃に入る。
……………、っい……!馬鹿にしないでください、この裏切り者っ……
「ぐ…………手厳しいなぁ?そう睨むなよ仮にも元仲間だろ?」
キョウカも近距離の銃撃は避けきれず一身に受けてしまった。いくら丈夫な体といえど人間、このまま鉛玉を受け続けたら不利だろう。
離脱をしようとした時、柄で向いた銃口を逸らそうと刀を振るう。
「仲間なんてひどい……あ、あやまって…………!!」
しかし、それは悪手となる。もう片方のウィンチェスターでがら空きだった胴へと発砲したのだ。詰まった臓物を弾丸が貫き、思わず膝をついた。
生命活動に支障をきたした体に鈍痛が巡り、着物には新たな血色の牡丹が染められてゆく。
さりとてその姿、なんと異しからずや!

……ジニー殿。」
その声にピタリと引き金を引かんとしていたジニーの手が止まる。その隙を逃さず、下段の構えから刀を振り上げた。
「余程気が動転しているとお見受けします。眼前の相手をどうか見極めていただきたい。」

「あ゛つっっ!!?!う…………あ゛………!!」

振り上げた刃はジニーの視界へと近づき………そして、そのまま眼孔を切り裂いた。
左目の視界が失われる。

こわい、見えない……こわい、こわい……助けて、こわい……このまま戦わなければならないというのに恐怖で手が震え、そのまま片方の銃を落としてしまう。
キョウカはそれを軽く下駄で蹴る。クルクルと回転しながら攻撃手段の一つが失われた。
無論、本人はそれどころではないが。

なぁんて?ハハ、この格好じゃあヨシノリの顔は難しいな。今のはファンサービスだ。」
…………冗談、よして下さいよ!!絶対貴方の事殺してやりますから。」

残ったひとつの銃で必死にジニーは攻撃する。
片目標準で生じるズレで、キョウカにはなかなか当たらない。一方キョウカも腹部の傷で思うように動けず刀は空を切る。気付けば二人、共に体力は底を尽きかけていた。

あの娘は可哀想にな。知らねェままの方が幸せだったろうによ、存在しない男に惚れてたなんて。」
「本当にもう黙っててくださいっ……!!人の心が無いんですね。……貴方の方が可哀想に見えます、私は。」

煽りあいの心理戦。ジニーはきつくキョウカを睨む。戦いの場で人の心など無ければどれ程に楽だろう。

「美を愛でるのは人の心だ。そう考えると、俺ほど心を持った奴はいないと思うぜ?」

キョウカは痛みに浮かんだ汗を袖で拭うとジニーの足へむかって切り付け、防御をしないキョウカの右腕にジニーは発砲する。体に空いた銃創から吹き出す血でステージが汚れる。

………そう、ですか。………では美の欠片も無いぐらい、無様に散って頂きますっ……!」
ジニーは残りの弾全て使い切るつもりでトリガーを引き続けた。

…………ぎっ……あぁ゛っ………!!」

キョウカの右腕に空いた大きな風穴に勢い良く空気が吹き込む。腕の感覚は失ったことに疑問を持ち、視線を移す。

………………、あ゛…………?」

遅れて痛覚が伝達された。
射入と共に体内の筋肉血管もとより骨までもが粉砕状態となり、それがそっくり射出側へと吹き飛んだ事に気が付く。

二十六年間連れ添ってきた右の腕が、撃ち落とされた。

持っていた刀は腕ごと地面へと落下して、平衡バランスを失った体はそのまま崩れ落ちた。
当たり所が悪かったのだろう。びゅうびゅう飛び出す血が、冷えていく体が終わりの近付きを示す。

脳に燻ったままの炎が、綺麗で力強く美しい彼女に焦がれるようにぱちぱちと火花を散らす。
客席ではラウラが身を乗り出し何かを叫んでいる。こちらの耳が機能していないのか、物理的距離で聞こえないのか。どちらでも構わない。
好いた女が自分に必死になっている様を最期に見れて、いい気味だと思った。

アンタは良い娘だ。美人で腕っ節も立つ。物怖じしないその心臓も良い。だがちいとばかし、目が悪かった。」

こちらからの声は届かない。ましてや、こんな吹けば消える命のおとならば尚更。
この声がきちんと発音出来ているのかも定かでは無い。五感は徐々に掻き消えていく。

「ヨシノリじゃねえ、この俺だけを覚えてな。俺はアンタの中から消えてやらねぇ。キョウカはアンタの中に残り続ける。
ずっと、その心臓に男を飼うんだ。アンタを良い女になんざさせねェよ。色男からの恋慕に気づけなかった罰さ。」

此奴は、敵。残り一つだった弾丸を外すまいとジニーは眉間へと銃口を向ける。普段の癖でごめんなさいと言いそうになるのを止める。
……ありがとう、ございました。」
これまでよくも礼を尽くしてくれた事への意趣返しだ。

愛しき女への呪いを紡ぐ裏切り者への餞別。火をかき消すように、銃声が響く。
脳漿をかき乱した銃弾は呆気なく命を奪い、ずるりと模様の着物と血溜まりが地面へと広がった。

「戦闘終了、勝者ジニー・スチュワート!」

ピグマリオンの言葉にほっと息をつく。しかし、いつもは心配そうに駆け寄ってくれるエリザの姿はない。
観客席も誰かが欠けているらしく、異例の出来事に喧騒が巻き起こる。

「あら?エリザさん、どうしたのでしょう。ここの所アクシデント続きで困りましたね。すみません、医務室までは自力で行って頂けますでしょうか?」

酷く無茶を言う。ふらふらと歩き出すと、ぼたぼたと血が滴った。これじゃ掃除も大変だろうに、それ以上の事情が出来たのだろうか。
探るように視線を這わせても、何も読み取ることが出来ない。今までもそうだった、恐ろしい程に。
「は、は………
「くれぐれも、寄り道はなさいませんように」

肯定の返事に満足気な笑みを浮かべるとピグマリオンは足早に去っていった。
一歩一歩が重い。鉛のような足をどうにか動かし、医務室に着くとエリザが待っていた。
一つカーテンの閉まったベットが目に付く。

「ああ……待ってたよ、治療だね?」
視界が揺らぐ。
心地の良い穏やかな声に意識を手放した。



挿絵:こあらねこ、ふじ、沓谷、加工済み魚類
ロスト:響火

episode 11 ▸

◂ episode 9