episode 4


地下へと下るのももう四回目。慣れる足取りと不相応にただ追い付かない心だけが穏やかでいられなかった。

ここへ初めて来た時の事を思い返すと気持ちは奈落へと沈んでゆくようで、ロジェ、スージィ、バラニーナ。三人減っただけのエレベーターの中は随分空いているように感じた。

 

到着のベルの音が鳴る。扉が空いても誰も出ようとはしない。

それを見たピグマリオンとエリザは先に出て振り返り、微笑みを消した。ついてこい、とでも言いたげだ。

反抗は許さないといった様子に諦めたように皆が観客席に行く。

 

「おや、ワタシと戦うのは少年かい?」

「ふーん…アンタ、か。」

 

その様子を見届けたのはアナスタシアとネオだった。すらっとした長身が向かい合う。今日は、この二人のどちらかが欠けるらしい。 

 

 

「…皆の手持ちのチップもばらつきが出てきたね。どちらにせよ、きみも慎重に賭けてくれたと願いたい。」

残り枚数が少ない者もいるのだろう。エリザは少し考えるような仕草を見せ、いつも緩んでいた眉を少し寄せて問いかける。

 

→アナスタシア・タンタターニャ

「彼女が負けるところ、あまり想像できないよね。あの細身のレイピアで臓器を貫かれたら周辺ごと大手術になるかも…」

 

医者視点の分析だ。

ライトブルーの目がこちらに向く。幾度となく死を見届けてきたであろう瞳は今は健康な人身を映しているが、もし対戦相手が自分で、もしそうされていたら。

彼、ないし彼女の手により自分の亡骸は処理されるのかもしれないし、またここへ座って仲間が仲間を手にかけるのを静観しなければならないのかもしれない。

ここにいる中でも後述のような人は重く淀んだ陰鬱な雰囲気が強い。

 

 

 

 

「手合わせは久しいな。どれ程強くなったか見せて御覧。」 

 

沈黙を破るよう、アナスタシアはネオに話しかける。しかし、独りを好む彼が会話に応じるはずもない。

「……さっさと始めてよ、進行役。どちらにしろ遅かれ早かれ俺かアンタは死ぬし。」

「おや、つれないな。もっとお話したかったんだがな。残念。」 

 

既にクロスボウに矢をセットしている様子を見ると彼女もレイピアを構える。心中がどうであれ、今回はスムーズに進みそうだ。

 

「…ふむ、準備は宜しいようなら始めますが……」

観客席の不安げな顔を背に、双方無言で頷く。

確認を取るまでもないと判断すると、慣れた仕草で高らかに上げていた腕を振り下ろした。

 

「……戦闘開始!」 

 

その合図とともにアナスタシアの肩に矢が掠る。クロスボウを持つ手ごとレイピアで払い除けるようにし、そのまま腕を切りつける。

「余所見は良くないぜ?少年 愛を持って、ワタシに、全力でおいで。」

 

「ッ…いきなり………」

ネオが震える手で2本目の矢を取り出し、セットするのを見届けると再び戦闘の構えに入る。彼が撃つ前に、一筋の光の如く素早い一撃が鎖骨、首を通り……たった今、首が落ちたような錯覚にぞわりと血の気が失せていく。

 

 

「しっかり構えて 昔訓練したように。躊躇するなよ。」 

「……っう……は……あんた、も手抜くとかは…許さないから…。」

実際、血が足りなくなっていく感覚はしている。

だんだんと首から胴へ血が伝う感覚が気持ちが悪い。

「抜いていないよ?全力さ!」

放っておけばこのまま死ぬのかもしれない……が。ここで死ぬわけにはいかない、だろう?

ネオの肩を貫こうと踏み込んだ脚に矢が刺さる。スコープ越しにぎらぎらと殺気に燃えた紫がこちらを見据えた。

 

矢を抜いて出血よりも抜かずこのまま戦闘を続ける方が不都合だろう。レイピアを構えていない方の腕で羽を掴むと、引き上げる。

がくん、と足から力が抜けるのをもう片足で何とか支えた。

「…っ上手だね。調子が出てきたんじゃあないか?」

目の前で成長を見せてくれる彼が愛おしくてたまらない。愛する君の成長が嬉しい。____嗚呼、愛しているぜ、心から。愛を告げる唇は弧を描き、不気味な程に歪むことはない。変わりに薄く耐えるような吐息が漏れる。

孤独に閉じ籠る青年に愛の言葉は弾かれ、無惨に捨て置かれるのみ。彼が自身を守る為自ら創り上げた殻は厚い。それでも、聖女は無償の愛を振り撒き、彼へと伝え続ける。

____沢山の矢が彼女の身を射抜いていたとしても。

 

「……ほんとに、なんなんだよ…うるさいって…!黙れよ!!」

感情に揺れ始めた矢の筋を見切り、身体を翻し躱すとネオの足を刺し貫く。

「如何して?ワタシは少年と言葉を交わすのが好きだぜ。」

痛みに呻き、ネオの武器を持つ手の力が抜ける。アナスタシアはリーチの長い脚でクロスボウを蹴り飛ばそうと振るうが、武器を飛ばされるよりマシだとネオ自身が受けた。

「まあ、君が嫌がるのなら、黙ろうか。」 

「またそうやって……!だから!わかんないんだよ!アンタのこと…!」

 

 

「分からない?分かろうとしてくれているのかな?そうだったら嬉しいな。」

…君は他人に興味がないものだとばかり思っていたから、と続く前に彼が声を張り上げる。

「アンタのことなんて理解したくなんてない!!!愛してるとか、そんなん意味ないんだってわかんないのかよ!?」

普段聞かないネオの大声にも物怖じした訳ではない。傷の痛みを耐えるのも、出血のしすぎて脳に血が回らなくなった訳ではない。ただ一瞬、彼女自身が足を止めた。

 

「少年は愛を信じられないんだね。」

 

ネオの目が見開かれる。トリガーを引いた手と、放たれる矢は止まらない。

慈愛を帯びた少し寂しげな微笑みに仇を成すよう矢が射抜く。

「ッ………」

「信じる?ふざけんな…!!!信じられるものなんて何もないだろ…!!」

 

「_____人も愛も神も何も!!」

びし、と何かにヒビが入るような音がした。それは折れた骨か、彼の閉じ籠る殻か。後者であったなら、彼女はそれすらも抱き締めるのだろう。

 

 

「少年は何も悪くないよ。悪いのは、愛を信じられる世界を作れなかったワタシ達大人だ。」 

「……あぁそうだよ、お前らが全部悪いんだよ!!!」

 

アナスタシアはもう二撃目を耐える余裕は残っていない。ネオの矢も残り一本。

正真正銘の最後の外した方が終わりの決闘になる。

レイピアの切っ先は心臓へ。

クロスボウの標準は臓腑へ。

それぞれ致命傷を与えるべく標的を見据えた。

 

「それでも、愛しているんだよ。……どうしようもなく、心から」

 

「黙れよ!!!!!!!!!!!!」

 

 

バシュン、と確かな質量を持ったものを突き通した音がした。勢いのよく貫いたものは背中側からも血が吹き出し、そのまま背後に近い壁へと誘われる。

 

「強くなったね、ネオ。」

 

その音を発したのは、白の手袋を赤色に染めたアナスタシアだった。

いつもの涼し気だった顔からぼちゃ、ばしゃん、と苦しげに咳き込みながら血が零れていく。だんだんと吐き出される血液は量を増す。

「…っぐ……けほ、……っげほっ!…ぅ…元より、死に場所を探しに……軍に、戻ったんだ。…未練などない、ぜ。」

 

「…………あ…」

アナスタシアが言葉を発する事に気道が音を立てる。それでも命を削り、自分の意志を伝えんとしている。

その痛ましい姿に先程近付く刃先に臆する事無く撃ったはずの人物は呆然と佇むのみ。

 

やっぱり愛なんて無意味だったと嘲笑う気持ち。

母のように暖かだった彼女に仇を成すように傷つけ、ここまで追い込んでしまった自責。

自分は今刻一刻と彼女の慈愛に応えられる最後を失っていく。

 

「ほら、そんな顔しないで。もう少し傍においで。」 

アナスタシアは最後の力を振り絞り、ネオの袖を引く。

彼女にはこの心の悲痛な叫びが聞こえているのかもしれない。………俺は彼女の声を聞こうとはしなかったのに。

 

「……っ昔話さ。....娘がね、居たんだ。旦那も。もう居ないけれど。ワタシはかれらに愛を貰うまで君のように愛を信じられなかった。でも、愛を知って幸せになれたんだ。」

顔を見られたくないだろう、との最後までの気遣いだろうか。黒曜石の瞳を伏せ、語り始めた。

いつもなら知りたくないとそっぽを向く。

いつもならどうでもいいと突っぱねる。

ネオは、今。どうしてもそれが出来なかった。

「そして、昔の自分と同じような少年に出会った。....傲慢なことにその少年にも愛を知って欲しくなってしまったのさ。なあ、ネオ ワタシは君のことを愛しているよ。」 

 

「君は生きて幸せになりな。いつか、愛する子を見つけて、愛して、愛されて。」

塵芥と非道徳に溢れたスラム街にはそんなに綺麗なものはない。

誰も、教えてくれなかった。…だから。どうして。俺は心底アンタを理解出来なかった。

「……俺は…、俺はアンタみたいな……人を…知らない………」

 

ネオの手にはレイピアが握られている。

その手をアナスタシアの手は力なく握り、自ら刃先を胸へと導いた。

「今まで見てきた…誰にも…………アンタは…、アンタの言う愛とか………そういうの全部…何もわからなくて」

「これからだよ。人生はね、長いんだ。続いていくんだぜ、ずっと。だから大丈夫だよ。」

残った力で帽子をネオに被せると、ネオの頭を抱きしめる。_____暖かい。

物理的ではない、心の温かさが帽子越しに伝わった気がした。

 

「…アナスタシア、愛って」

その熱はそのまま目頭に集まり、泣き出してしまいそうになってしまう。それでも。

「知っても、よくわからないな」

せめてもの餞、と不器用ながら笑った。

 

「泣くなよ 少年。」 

「………おやすみ。」

涙が零れる前に、血が溢れる。レイピアは彼女の骨の隙間を通り、心臓を的確に貫く。強い痛みと苦しみ。アナスタシアの体は強張ったと思うと、その力はすぐに抜ける。壁に凭れたまま、息絶えた。尊厳の保たれたその姿に、声をかければいつもの彼女が戻ってくるのではないかと錯覚するだろう。

……しかし、帽子から離れた手は、そのままくたりと地に落ちる。遺品となってしまった帽子の影で彼の表情は伺い知れない。

 

「…全てを愛したつもりでいたけれど、ワタシはきっと、誰かを犠牲にしなくては生きていけないこの残酷な世界のことなんて、これっぽっちも愛せていなかったんだ。」

「それでも......きみたちの、こと、愛して、いたんだよ。.........大好き、だよ。」

アナスタシアの最期の言葉だけが、ネオの頭の中を駆け周り、染み込み、思考を溶かし、そのまま地に伏せた。気を失ったらしい。

 

彼女が事切れたのを確認すると、三つ編みのまじるベージュのサイドテールを揺らした。

「…戦闘終了。ネオ=レーヴェルの勝利!おめでとうございます」 

 

 

 

 

「ネオさん…!!っ聞こえるかい…!きみ、手伝ってくれ!」

間に合わないと悟ったエリザは先に担架を用意し、手前の軍人に声をかけていく。

傷に障らないよう的確に担架に乗せると、合図と共に彼を持ち上げた。

 

「そちらはお願いします。…私は他の方々の方に回りますから」

「____うん、ピグマリオン、こっちは任せてくれ」

そう言うとアナスタシアの方を1度だけ振り返る。

……どうか、救いある夢を。そう願い、医務室へと急いだ。

 

 

軍部より。埃まみれの資料室から一枚の写真が取り出される。

そこに映るのは悪魔と呼ばれた彼女と、その愛しい伴侶と我が子。そっと棄てられたその写真は、もう二度と戻らない。

 

 

 

挿絵:沓谷、ふじ、こあらねこ

ロスト:アナスタシア=タンタターニャ

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