episode 6


この館を歩き回っているとどうも気が落ち着かず、時間より前にも関わらず地下へのエレベーターの前で立ち止まる。ふと、後ろを振り返っても廊下には誰もいない。

…1ヶ月前には沢山の人とすれ違い、雑談を交わしていたというのに。勿論抜け目など無く、脱出に繋がる情報も見つけられないままとうとう自分の番になってしまった。

 

___いや、今不安事を増やすのは良くない。長い髪を指でくるくると弄りがら待っていると、次第に人が集まり、地下へと下っていった。表情を引き締めて、皆が観客席へと移動するのを見届ける。

振り返った誰かが心配そうに見ていた。

それに背を向けスポットに照らされた相手と向かい合う。

「あ、オバサンが俺の相手?だったらよゆーで勝てるな」

「……その言葉そっくりそのまま返す。」

 

険悪な雰囲気が漂う。たちまちコロシアムは2人の殺気で埋め尽くされた。

今までとは違う雰囲気に客席から見守る仲間は緊張感から固唾を飲み込む。

そんな様子を見ていたエリザがにこりと微笑んだ。

 

「あのふたり凄い殺気だね、仲間なのに殺し合うのを厭わないみたいだ……」

 

エリザの言葉に辛うじて頷いて同意するといつもの質問が投げ掛けられる。こんなことを聞いて何になるのだろうか。そんな疑問はとっくのとうに棄てていた。

 

「君はどちらに賭けたのかな?」

 

シムク・フラーテル

→「彼…不安定な所もあるけれど、上手く利用すれば大きな力になるかもね。銃の命中率も申し分無さそうだ」と髪飾りの紐を弄りながら視線を逸らすと、そのままどこかへ行ってしまった。

 

 

「ねー、そこのオバサン。さっさと始めてよ時間がもったいないだろ」

「私もそうしてもらいたい。こんなクソガキといつまでも同じ空間に居たくない。」

 

早く終わらせろ。そう目と言葉で訴える2人の顔を交互に見たピグマリオンは暴言に動じることなく腕を振り上げた。

 

「話が早くて助かります。……それでは、戦闘開始!」

 

腕が振り下ろされると同時にシムクはニヤリと笑いピストルを発砲する。咄嗟のことだったがラウラは持ち前の反射神経の良さで躱す。が、完全には避けきれなかったようで頬に一筋の紅が走った。

それを鬱陶しそうに手の甲で雑に拭った。

 

「所詮その程度、ガキが大口叩いても怖くない」

「チッ、なんだと?!バカにしやがってオバサンのクセに!」

「…今度は私の番」

 

刀を握ると同時に駆け出し、シムクを斬りつける。斬れ味の良い日本刀は横腹をスパッと斬り裂いた。シムクの薄い身体は簡単に刃の侵入を許し、ボタボタと鮮血が床を汚す。尤も、幾度かの戦闘を迎えたこの会場の床は拭っても拭いきれない血で汚れているが。

 

「ぅ、ぐっ!!」

「そんなに言うなら口だけじゃない所、証明してみたらどう」

「はぁ、は、っ!……俺には兄貴が、ついてるから、大丈夫……」

「兄貴ってその汚れた人形の事?」

 

ラウラは標的をシムクからぬいぐるみへと移した。既にボロボロだったそれを更に斬り刻む。シムクが抵抗する間もなく。バラバラに裂かれたぬいぐるみを見て口がはくはく酸素を求める。

 

「あ、あ……兄貴、あにき……」

「そんな風に想える家族がいるっていいね」

「あ、たり前だろ、兄貴は、俺の、最初で最後の家族だっ……!よくも!」

 

泣きながらぬいぐるみを抱き締める。そこから出てきたのは拳銃だった。

 

「…ぜってぇぶっ殺してる、オバサン。」

振り下ろされるラウラの日本刀の軌道を読み、ひらりと躱すと攻撃動作後の腕に標準を合わせた。

しかしトリガーを引く前に狙いを読まれ、別方向へ飛び退かれる。流石相手も軍人だ。

 

「悪いけど、死ねないからそっちに死んで欲しい。」

そう簡単には行かないか。咄嗟にチッ、と舌打ちが漏れる。挑発的に口角を上げ「やなこった。」と呟いた。

刀身を避けたつもりが頬を掠っていたらしい。暖かい血が滴り落ちるのを無視し、ラウラの胴に向けて発砲するが外れてしまう。

 

「だったら死ぬ気で殺し合うしかないみたい。」

「……っ望むところだ、こんな所で死んでたまるかよ…!」

 

シムクはちらりと自身の刀傷に視線を移す。

皮膚が裂け、じくじくと熱を持ち、動くと千切れた筋繊維が引き攣り激痛が走る。

血に濡れた太刀がこちらに向くたびに脳が危険信号を出した。逃げろ、と。

このオバサンがどう足掻こうが、ここで生き残るのは俺達だ。そう思っていたはずなのに、その痛みで銃撃に集中が出来ず、更に焦りで銃先がぶれる。

 

______兄貴、助けてくれ。

そう念じて自身の銃を囮に一発、素早く的から外れようと動く彼女に向けて兄の銃で一発打つ。兄の弾はラウラの足を撃ち抜くには至らなかったものの、太い血管を傷つけた。

白いブーツが赤で塗り替えられる。

兄が力を貸してくれているのだろう、心が温まってゆくのを感じた。

 

兄貴を傷つけた罪は重い。

すぐに治してやるから、後ろで見ててくれよ。

まずは武器を持てなくしてから………じわじわ痛め付けてやる。

 

「…ッ、なんで死なないの、はやく死んで…!」

 

火薬の匂いと、バン、という音と共にラウラの腕が衝撃で打たれる。遅れて、脳に痛覚が伝達され始めた。

痛い……痛い、嫌だ…………死にたくない、助けて………まだ、生きていたい。

ラウラにはこんな時に助けを求められる家族は居ない。

豊かな家も、暖かく優しい家族も失った。

だとしても___いいや、だからこそ。

やらなきゃいけない事が残っている。少し前に見た愛しい人の不安そうな顔が頭を過ぎった。

…大丈夫。地上でまた、待ってて。

 

たとえ、銃弾に貫通された肉から血が吹き出しても。全身に伝わる痛苦で手が、足が震えても。同じように一人ぼっちの彼を殺す事になっても。

_______カネコ、あなたにもう一度逢うためならば…!

 

 

一切の防御を捨てた捨て身の型で、シムクに切りかかる。

その太刀は肩から腰にかけてを深く断ち、ぱっくりと切り裂かれたところから派手な血飛沫が闘技場を彩る。

 

ピンクとブルー、色の違うトパーズの瞳がキラキラと輝きながらその光を失っていく。

 

「………ぃ、痛…い……あつ゛、い………っ嫌だ………」

シムクが倒れるとばしゃん、と音を立てて血が跳ねた。

肋骨も割れたのかもしれない。浅い呼吸を繰り返し、その度に血をはき出す。意識は混濁と浮上を繰り返しながら。最後の力を振り絞り伏したまま這いずった。

 

「あに゛……き…………っぃ゛、……いま……直して……」

_______直して?

なんでそんな物みたいに。

兄貴は、この間も俺の話を優しく聞いてくれて。

俺のたった一人の家族で。

…だから、治さなきゃいけなくて。………いつもみたいに笑って…………話を。

「………ぁ、あ………!!!…」

 

いつから、兄の笑顔を見ていないだろう。

 

最後に兄を見たのは弱りきった姿で自分の手の中だった。

______ならば。

兄の笑顔を奪ったのは、誰だっただろう?

 

目の前のそれは、心身共に自身そっくりであった兄ではない。生地は破れ剥き出しの綿が溢れたヌイグルミだ。

今更、何も贖罪にはならない。拳銃の筒先は自身へ向いた。

 

「…ぁ゛……兄貴、ごめん…っ……。ぜん、ぶ………全部、お…俺が………悪かったんだ……ごめん……ごめん……。」

血の混じった涙が頬を伝う。シムクは自身の手で銃を頭上にかざし、撃った。

 

パン、と銃声の鳴るその一瞬。シムクそっくりの誰かが涙ながらにシムクを撃つ姿が見えたような気がした。

瞬く間に弾は眉間を貫きバケツの水を撒いたように鮮血が飛び散る。

 

ゼロ距離の射撃はシムクの頭蓋を割り、脳脊髄液を乱し。ヒトの人格であり、認知であり、思考世界たる脳へ介入し崩壊させてゆく。

小さな躰はもう動く事もない。ラウラは目の前で息絶えていくその姿をただじっと見ていた。

 

 

 

「戦闘終了。ラウラ・エスピノの勝利!…おめでとうございます」

その声とともに、視線をずらす。

観客席は、見れなかった。

自分は、生き残れる。そのはずなのに…今は、どうしても心から喜べなかった。

 

「ラウラさん…?お疲れ様、歩ける?」

一歩も動けないでいたラウラにエリザの手が差し出される。

血に汚れた自分の手と、衛生的な医療用手袋をスポットライトの光が照らした。それが、どこか責められているように感じて腕を下ろす。

 

「………いい。自分で歩く」

そう言うとツインテールをふわりと揺らし、闘技場から出ていった。

愛おしい彼に逢えるはずなのに、ラウラの表情は暗かった。

 

 

 

挿絵:沓谷、ふじ、こあらねこ、加工済み魚類

ロスト:シムク・フラーテル

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