episode 8


カツ、カツ、靴裏がリズム良く地面を叩く音が鳴る。エレベーターから一直線へ闘技場へと向かうその音は決して軽快とは言えない。

一時間後、自分はこの地を再び踏みしめる事が出来るのかどうかわからない。敢えてこの闘技場では離れた位置に陣取ったものの観客席へと消えていくにつれ相手の姿が顕になってゆく。

実質上先週から告げられたようなもの。日々の生活で目にする度に、次に会う時はここであるかもしれないと対話をした。

 

機は熟した。あとは刃と刃のやり取りのみ。

ぎらついた戦意から相手も同意見であることは見て取れる。

バーグラーのナイフ。カネコの日本刀。最後の二人の得物を握り直す音に、殺伐とした雰囲気が立ち篭めた。

 

 

気配に充てられて気鬱とした気持ちに苛まれる。古傷と言うには最近すぎる、彼らの遺した跡がじりじりと痛む。

これはいつまで続くのだろう。自分達はいつまで正気を保っていられるだろう。

忠誠を誓ったはずの国の不義。一進一退を繰り返すだけで見つからない出口。目を背け続けていた裏切り者の存在。

ぐつぐつと煮え立った不安、悲観、恐れ、深憂。自分たちはそれをずっと抱え続けている。

 

「……つらい?なら思考を放棄してしまうのも一つの手段だよ。それにひとつの不安はもうすぐに解消されると思う。いつもの質問、いいかな?」

エリザは笑みの中に気遣わしげな色を見せたまま問いかける。

 

→バーグラー

「ナイフは小回りが効くし…あの……ボウルも表情を読ませないという点では優位かもしれないね。」

 

全てから目を背け、与えられた個室に篭もりきってしまうのは楽だ。そうすれば少なくともこの白衣は甲斐甲斐しく世話を焼き奔走するのだろう。仲のいいあの子も様子を見に来てくれるだろう。

でも、それではいけない……と思う。やさしい地獄へ身を堕とすのはまだ早すぎる。

逸らしかけた目を闘技場へ向けた。

「ンだヨ今回は賭ける側じゃネ〜のかヨ。まァこういうスリルもだ〜いスキだけどナァ」 

バーグラーはこの場に似つかわしくない高揚した様な声を向けた。

何故このような言動が出来るのか、今から仲間と殺し合いを始めるというのに。まともな人には理解出来ないだろう。自らのみが感じることの出来る脳内麻薬の巡る感覚に口角が吊り上がる。

 

「…ヨシノリカネコがお相手仕ります、バーグラー殿。」

「相変わらず堅苦しィなァ〜…もっと楽しめよォ〜」 

 

対戦相手の様子に物言いたげであったが尚、礼節を重んじた金子が向かい合う。それを鞣すように茶々を入れた。

つくづく真面目な人だ。決意からだろう寄せられた眉のまま口を開く。

 

「この試合も上からの指令であれば遂行するまで。未熟者の自分には楽しむ余裕はございません。」

そう言い切ると深く頭を下げ。スラリと長い刀身を鞘から引き抜いた。純度の高い和鋼がうつくしくスポットライトの光を反射する。

 

「オレサマに賭けたヤツはラッキ〜だナァ!チップが2倍になって帰ってくるんだから」

面白くなさげに軽く溜息をつくと、客席へと声を張り上げる。

小型ナイフの格納を解く。殆どの武器を使いこなして尚、手に馴染んできた相棒。よろしく頼むぜ、と心の中で語りかけた。

「両者共よろしいですね……戦闘開始!」

二人の様子を薄笑いで見ていたピグマリオンの合図が響く。

びりびりと鼓膜を揺らす凛とした声。同時に先手を仕掛けたのはバーグラーだった。

 

初撃をすんでのところで躱した金子を滾る勢いのまま、二本のナイフを巧みに操り切りつけていく。

 「キヒヒ!オマエ動きもかてェな!」

 「っ自分の、直すべきところですね。」

一度懐に入られたら有利は一目瞭然。防戦一方を強いられ、かつ徐々に消耗し追い詰められていく。

少しずつ増える傷口が熱を持ち、じわりと血が溢れる感覚が焦りを助長する。するする手際良く果物を丁寧に剥いていた彼を思い返す。彼の前では、自分もまたまな板の上の鯉となってしまうのか。

歯を食いしばり、刀を振るうが避けられてしまう。武器の性質上大振りな動作は読み合いには不利だ。

「バ〜カあたんねェよ!せっかくのスリルとことん楽しませてもらうゼ!」

無骨な闘技場を彩るのは鮮血の赤のみ。

_______もっと笑え。叫べ!

このステージに、観客席に。血湧き肉躍るスリルを!

命懸けのギャンブルならば、そうでなくてはならないだろう?

 

「………っ、なら、ば…!」

ならば、自分とて席につかないわけには行かない。

ポーカー?ルーレット?スロット?そんな生易しいものでは無い。賭け金は自身の全て。生きるか死ぬか。

心臓に刃が刺さればやあ一等賞おめでとう。そのままご退場だろう。

敢えて既にナイフの食い込んだ傷口を抉るように捨て身の一太刀で切りつける。

 

 

「…ヒヒ、やっとその気になったかァ?」

「浮いた足は掬われます。どうか気を引き締めて挑んでいただきたい。」

時に慎重に、時に大胆に。人はその振れ幅に惑わされる。今迄の慎重一筋であった太刀筋が一気に読みにくいものへと変わっていった。

バーグラーの腕の刀傷は皮膚が裂かれ、神経を直接切断されたかのような痛みを体中へと伝える。

 

意識を研ぎ澄ませ、攻撃の隙を見切る。左肩。右脚大きく空いた傷口からぶしゅっ、と音を立てて勢いよく出血しそれが自らにも返り血となって掛かった。

 

「…痛ェなぁカネコォ、でも最高にたのしィぜェ…もっと楽しませてくれよォ」

互いにつけられた傷は放置すれば失血死は免れないもの。死の淵に立ちながらなお、この二人は武器を取り続ける。

「…まだ余裕がおありとお見受けする。自分は本気でしたが、やはり未熟なようだ。」

刀を振るとべっとりと付着していた血液が地に斑点を描いた。一度退いたこの隙に上がっていた息を整える。

 

「ヒヒ、オレサマと正反対だよオマエはさァ…。クソつまんねェ堅物なところとかナ」

「同じでしょう。性格はどうあれ、貴殿も自分もお国にその命を捧げた身。最も…貴殿が”裏切り者”でなければ、の話ですが。」

裏切り者·····ここに居た、どれ程の者がその言葉に反応したのだろうか?背後の観客席の反応は窺い知れない。しかし、それで良い。今自分が見据えるべき相手は·····目の前の好敵手のみ。

 「疑いのかかった者がここに集められた。無論、自分も。疑わしきは罰せよと軍が言うのであれば従うまでです。」

______例え、仲間殺しになろうとも。

続けられたその言葉に皆一様に息を飲む。

「コイビトを殺すことになっても、か?」

「恋人など。家族だろうと友人だろうと、仲間だろうと、恋人だろうと。自分が刀を捨てる理由にはなりません。」

何時如何なる時だって、高潔な軍人たれ。

「そのような軟弱者は我が軍には必要ない。」

それが、“金子義徳”の覚悟なのだろう。

 

「貫き通せるといいナァ、それ。もっとも、まずはオレサマを殺さネェとだけどナァ!」

そしてまた、バークラーにも似たものがある。覚悟なんて厳粛なものでは無い。チップのぶつかる音。脳を焦がすようなあの駆け引き。自らを魅了してやまないそれらを呑み込み、喰らい尽くす。

「…っ余程、楽しんでおられるようで。」

カネコは、左に避ける。それに賭けて振るったナイフは腹へと深深と突き刺さった。

 

 

自身の発言を反芻する。

疑わしきは罰せよという軍の意向なれば、それに従うまで。

容疑のかかった者が長らく過ごしてきた仲間であろうと、背中を預けた戦友であろうと。

 

「……ぎィッ……ぃ゛、…っ…!!」

_____刀を振るえ。金子義徳。そう有り続ける限り、この刃は曇ることは無い。

 

カネコにナイフを突き刺したままで居たバーグラーの離脱は間に合わなかった。

そのまま日本刀の切っ先は胴に向けて突き下ろされ、傷ついた内臓は悲鳴を上げて打ち震える。切断された血管は、大穴の空いた傷口からの空気も混じりごぽごぽと音を立てて貴重な血液を外へと追い出した。

 

 「…げ……っ゛ぉ……ご、ぽ…っ……ンだよ…もう終わりかヨォ………まあ、楽しかったか、ら゛っ……いいケド……なァ、…ひッさしぶりにこんなワクワクしたぜェ…」

 

食道から逆流してきた血液を吐き捨てるとバーグラーはそう言った。

彼はあまりにも自分と違いすぎる。群を抜いて理解に苦しむ型の人間だ、とそう直感する。

「…何故そんなにも笑えるのです。」

「ン〜…?ヒヒ、わかんネェよ、…オレサマは後悔してネェからかもなァ、…オマエ強かったゼェ、カネコォ…」

びく、と震える彼を気に留めずボウルを外す。からからところげる金属の音が幽寂の空間を実物へと縛り付けた。

 「軍のために自分は貴殿を殺します。……お見事でございました。お相手、ありがとうございました。」

 

項垂れたバーグラーの晒された項に向けて、刃を振り下ろす。

ズタズタの衣類からの夥しい量の出血。

ひゅ、ひゅうと浅く繰り返すだけの呼吸は顔は見えずともこちらを嗤っていた。

 

燃え滓の炎。ひとつの風音と共に、命の灯火が吹き消される。

了の息吹の代わりにごとん、と床に重量が落ちる音が響く。抵抗をしなかった彼の代わりに血飛沫が勢いよく吹き掛かった。それを拭うと…かつての会話の記憶、思い出。目が合ってしまわないように、カネコは背を向けた。

 

その行動を予測していたようにピグマリオンと目が合う。

「戦闘終了です。金子義徳の勝利!おめでとうございます。」

 「天晴れだ。軍人としての覚悟、だったね。とくと見届けさせて貰ったよ。」

後ろからエリザの声がかかる。振り向くと物言わぬ生首となったバーグラーの瞼を閉ざしていた。

 

「…少々感情的になってしまった。まだ未熟だ。」

共に戦った者の動きすら見切れず、余裕を崩された事。常に平常心で居なければならないと、いう、のに。

…ゆらり、と。緩やかに思考は鈍化して視界が霞む。

「人間性を失ってからがとうとう終わりだよ。未熟くらいで丁度いいものさ。…手当しよっか?歩ける?」

「頼む。歩くには問題ない。」

 

背筋を伸ばし、歩いた。足取りは少々の不安を滲ませながらも。

これは行進だ。向かう先が死であろうとも……

「………人間性など。我々の身は軍の物だ。」

 

呟いた言葉は、非道へと反れるものだろう。

 

 

 

挿絵:こあらねこ、ふじ、沓屋、加工済み魚類

ロスト:バーグラー

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