episode 9


人知れず穢悪に身を浸す者。誇り高く潔白である者。判断基準となり得る全てを問わず、此処では血を流し力尽きた者から死に絶えた。 此処に居るのは仲間殺しのみ。ピグマリオンは闘技場へ皆が降りたのを確認するように横目で見やるとブツン、という音と共に照明を落とした。

 

今までこんなことはなかった。混乱。それがこの場を支配する。しかし……段々とそれは収束していき、手を引かれ慣れ親しんだ観客席へと座らされる。

闘技場に残らざるを得ない、二人。 次に電気がつき、照らされた者。 ギャレン・コールと、軍支給でない真っ白なドレスを纏ったユノ=リリアーナ。

 

「ふふっ、ギャレンさん…はじめまして、かしら?」

「え、はぁ、いや………え?ユノ、リリアーナさん…?どうしたんですか、そんな、ドレスなんか……」

 

目の前に現れた得体の知れない、でもよく知る仲間に似通った容姿の少女に戸惑うギャレンを他所に少女は続ける。

 

「ううん、違う。私の名前はリリア=ベッラ。この軍に紛れる毒蛇の一人…と言えばわかるかしら?」

「どく、へび…………って…まさか裏切り者の……!」

 

裏切り者が紛れ込んでいる事は知っていた。本当に仲間だと思っていた人が裏切り者のサーカス団だった事に少なからずショックを覚える。自分達が築き上げたあの絆は、時間は、なんだったんだろうか?

戸惑いを通り越してフツフツと湧き上がる怒りに身を任せてリリアを睨みつける。

 

「えへへ…そんな怖い顔しないで頂戴……嘘くさく聞こえるけれど私、皆のことちゃんと好きよ?」

「は、はあ?頭おかしいのかこの女……」

「本当なのに…」

 

裏切り者の言葉など誰が信じるのだろう、ギャレンにはリリアが狂人に見えた。

 

ギャレンと同じく戸惑いに取り憑かれたのは観客席の極わずかになってしまった人達もだった。それと同時に自分の隣に座っているあの人も、正面にいるあの人も、全員がサーカス団なのでは無いかと疑心暗鬼になる。

仲間に裏切り者が居るなんて心のどこかで嘘であって欲しいと思っていた。しかし中心に

立つ純白の少女は明らかに異質。サーカス団は本当に存在したんだ。

ポン、と肩を軽く叩かれる。今はそんな僅かな肌の接触ですら怖く、その手を振り払い咄嗟に戦闘体勢を取る。

 

「おっと……はは、酷いなぁ。まぁユノさん…いやリリアさんと呼んだ方が良いのかな?裏切り者が本当に仲間に居て気が動転するのもわかるよ。さっきまでは仲間だったのにね」

 

手の正体はエリザだった。悲しそうな表情をした後にパッと笑顔になる。

 

「こんな時にもなんだけど君はどちらに賭けたのかな?教えてくれるかい?」

→リリア=ベッラ

 

自分の返答に満足したのかエリザは中心に立つ2人へと目線を向けた。

 

「おや、多少のアクシデントはありましたがこのまま続けさせていただきます。戦闘開始!」

 

両者の顔を見た後、ピグマリオンは声高らかに宣言した。

 

 

にこやかで穏やかなリリアと険しく眉根を顰めるギャレン。対照的だ。

 

「……あなたが裏切り者なら、僕はあなたを殺すことに罪悪感を持たなくていいし、思う存分惨たらしく殺していいってことだ」

「うん。仲間殺しよりよっぽど気が楽でしょう、こっちも負けられないわ、勝たなくっちゃいけないもの!」

 

胸に掲げた青薔薇のブーケ。奇跡を起こさせて、そう願い花嫁のブーケトスの様に空高くに投げる。本物の花嫁になった気分になれるこの瞬間がリリアは好きだった。

思い浮かべるのはそう、母国イタリアのチャペル。白と青で統一して飾り付けられたそこはステンドグラスの光が差し込みさぞ綺麗だろう。長い長いバージンロードを歩くのが夢で憧れ。

 

「…まぁ、私にはむりなんだけどね」

 

皮肉めいたリリアの言葉をかき消す様にブーケは爆発した。青い花弁は舞落ち、やがて熱に耐えられなくなった花弁は黒く焼け焦げた。

まさかあのブーケが爆弾だと思わなかったギャレンは驚き爆発を避けきることが出来なかった。咄嗟に顔を覆い尽くした腕が熱で服と一緒に焼け爛れる。腕を焼き付くさんばかりの熱と痛みに怯むが、武器は脚。腕が多少使えなくともギャレンは平気だ。

 

「……この戦いが始まったのはあんたらのせいらしい…バラニーナちゃんの仇でもある、のかな。恨みをはらす相手が多いのっていいかもな、……っ!」

 

助走をつけ、蹴り上げようとするがひらりといとも簡単に交わされてしまった。

 

「ほんっと、いつの間に嗅ぎつけたのかしら?こっそり団長を連れて帰れば良かったのに…もう!まどろっこしいのよ!変な館に閉じ込められれるし、最悪よ!」

 

不満げに愚痴を零すリリアに向かい再度脚を振り上げる。やられっぱなしでは性にあわない。

 

「クソ、…このアバズレ女が…ッ!」

 

そう言った瞬間リリアの顔色が悪くなった。目を閉じ、何かから身を守る様に肩を抱き寄せ震えて蹲る。ギャレンの言葉が何かリリアのトラウマを呼び起こすトリガーになったのか。そんな彼女を心配する事は無かった。明確な敵なのだから寧ろ弱ってくれた方が好都合。ナイフで背中を縦に切り裂いた。瞬間、勢い良く溢れ出す血潮はリリアの白いウエディングドレスを汚し、深く入った傷は骨を剥き出しにした。

 

「やだ!やだ…さわらないでよ…!…痛いのは嫌い!私、強くなったんだから…!」

「あはッ、ざまあないな!」

「うるさいッ!」

 

そう叫ぶとブーケを再びギャレンに投げつけた。ふわりと薫る青薔薇の匂い。いい匂い、だなんて呑気に思う暇もなく目の前で爆発した。爆風に吹かれてコロシアムの壁に背中と頭を強打する。服はもう焦げ臭くて原型を留めてはいない。

背骨は折れ、打ち付けた頭のせいで視界はクラクラと揺れ動き酩酊感に苛まれた。それでもリリアに明確な殺意を忘れる事は無い。

 

「…ッ!!!がはっ、!?…は、ぁ、調子に乗るなよ、いますぐぶっ殺してやる…」

「ごめんなさい、私だって皆の為にも負けられないの。…ここで死んでね」

「し、んでたまるか!!!!!お前も、あのクソ女もぶっ殺すまで、絶対に…!!」

 

壁伝いに立ち上がり頭から垂れている血を乱雑に拭う。

こんな所で負けられない。自分はまだ何一つ彼女の仇を取れていないじゃないか、それなのに倒れる訳にはいかない。

トントン、つま先でコンクリートの床を叩き靴をしっかりと履き直す。

このコンクリートに滲んで取れなくなった血、バラニーナちゃんのもあるのかな。そう考えたら余計に殺意が湧き上がった。

軋む骨と肺を無視して思いっきり駆け抜ける。憎き裏切り者の元へと。

脚を限界まで振りあげ、切り裂く。後ろに引こうとするも間に合わず腹を抉られる。血が止めどなくどくどくと溢れ、錆た血の臭いがより一層会場に蔓延する。抉られた腹からは臓物が覗いた。一刻も早く治療しなければ失血死は免れないだろう。白かったドレスはもう真っ赤に染まっていた。

堪らず腹を抱えて前のめりになる。

 

「うぐっ?!!ぅ゛……私ね、サーカスの仲間が一番大事だけど…あ、貴方達だって嫌いじゃな のよ。ギャレンさん…の 事も…ロジェさんも。あの女の事だって…憎 いの、貴方と同じよ。ね、だから貴方の代わりに敵討ちしてあげるわ!さ、…大人しく負けて 頂戴…」 

「は、裏切り者がよく言いますね。あんたみたいなやつがのうのうと息してるってだけで反吐が出んだよ!!!」

 

リリアの無茶苦茶な説得には応じない。腹を庇っている腕を切り裂く。ギャレンの力は強く、華奢なリリアの腕の肉は引き裂かれ、骨をも砕いた。続けて浴びせられた攻撃に痛みが最高潮に達し、堪らず膝をついて蹲る。

 

「酷い言われ様。…ねえ、…聞いた?ついさっきまで仲…間だ たのに…私、とって も 悲しいわ」

「ッ最初から、裏切ってたのは、そっちだろ……僕は、こんな戦いさえなきゃ、バラニーナちゃんと……」

 

ぽたぽたとコンクリートに染みができ、リリアは顔をあげると、ギャレンが感極まったのかボロボロと涙を流していた。余程愛していたのだろう。それはリリアもよく知っていたから、少したじろいだ。

「……知らない。そんな事言われたって、バラニーナさんも他の皆も…どうしようもできないわ」

「わかってるそんなこと!!!だからお前に死ねって言ってるんだ!!!」

 

無抵抗なリリアに再び蹴りを浴びせようと至近距離で脚を振りあげた。

その瞬間リリアはニヤリと口元を歪ませた。

 

「ギャレンさんって…本当にひとつ覚えで、学ばないわね」

 

どういう意味だ、口を開く前に押し付けられた青薔薇のブーケ。噎せ返る程の香り。

あ、まずい

 

そう思ったのと同時に爆発した綺麗だったブーケ。至近距離で爆発を受けたギャレンは上半身と下半身が2つに分かれてしまっていた。誰が見てももう助からないのは一目瞭然だった。

 

「っはぁ…は、ギャレンさん、悪いけど…ここで終わりよ」

 

リリアが近づき、トドメを刺そうとした時、ギャレンはふわりと優しい笑顔を浮かべた。

 

「……バ、ラ、ニーナちゃん、迎えに来て、くれたんだね…」

「っ……」

 

どうやらリリアをバラニーナだと錯覚しているらしい、髪の色が同じ白だからだろうか。朦朧とした濁っている眼で何処かを見つめている。

「結局、なんの、仇も、うてなかった、けど、………ゆるして………くれる…?ふ、ふふ、あは、向こうに行ったら、けっ、こん、しよう、ね………」

「………っ………うん、約束」

「、あ"、」

 

あいしてる。唇で紡いだ音にならなかった言葉。それはリリアだけが知っている事。

花嫁からのブーケトス。これを受け取った未婚の女性は次に結婚ができるという。

手を空かせる為に放り投げた青薔薇のブーケを、お団子髪の彼女が受け取った気がした。

「…お疲れ様、ギャレンさん……ごめんなさい」

「勝者、リリア=ベッラ!おめでとうございます」

 

拍手をしながら近寄って来たピグマリオンを睨む。この女から離れたくて距離を取ろうとするがリリアも深い傷を負っている為に思うように動けない。

 

「私も嫌われたものですね、そんなに警戒しないでください、傷、痛みますよね?医務室まで手を貸しますよ」

「結構よ、貴女の手を借りる位なら一人で行くわ」

 

一触即発の二人の間にエリザが割って入った。ピグマリオンへ困ったような笑みを浮かべて離れる様に手で伝える。

 

「リリアさんお疲れ様、今すぐにでも手当てしないと失血死してしまうよ、僕が運ぶのはいい?」

「…まぁ、貴方だったら構わないわ」

 

血の気が引いたリリアをエリザが抱えて会場を後にした。残された観客はこれからリリアにどう接すればいいのか、決めあぐねているようだった。

 

 

 

 

挿絵:こあらねこ、ふじ、沓谷、加工済み魚類

ロスト:ギャレン・コール

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