歴史書から拷問に関して記述された箇所を見つけ出し、何度も反芻し読み返す。

挿絵に書かれた被害者の苦悶の表情をじっと見つめて顔を綻ばせる少女は、兎のように愛らしい外見からは想像もつかない加虐嗜好の持ち主であった。

 

 

「シュル、迷子だったの?ボクと同じだー!」

タントは声を上げると、喜びを全身で表すようにシュルの周りをぐるぐると回ろうとするが、それはシュル本人の手によって静止され、そのまま抱き上げられる。

「ここで動き回ったら危ないよ」

「大丈夫だよ、どこも痛くないよ。へっちゃらだよ!」

「そりゃあまだ何処もぶつけて無いからね!やれやれ、仕方ないなあ!お兄さんが守ってあげよう!」

「おにい、守ってくれるのー?」

「おおっとそこで立ったら危なァーい!座ってー!」

タントはP.N.Gの膝の上に乗せられるなり大はしゃぎの様子で、どうやらこれで彼がテーブルや椅子にぶつかりドンガラガッシャンなんて悲劇は防がれたようだ。

膝の上に立たれそうになったP.N.Gは大慌てで顔色を青くしているがそれはさておき、そんな様子を目を細めて見ていたレプスが口を開く。

「さて、次は私かな〜?」

「はい、お願いします」

「タランテラさん、いつもにも増して良い姿勢だね!凛とした美しさが息を呑む程だよ」

「ふふ、貴方こそですわ」

タランテラとデリックがしゃんと姿勢を正し、あまりに真っ直ぐな視線を揃ってレプスに向ける。それがなんだかおかしくて、レプスはクスクスと笑みを零して止まらない。

「ねぇ笑かさないでよ、今から話すってのに!」

「タランテラ、デリック!姿勢を崩すんや!」

「はい、ウチ様!しかし、どのようにしたら……?」

「粗放な振る舞いが何たるかを理解させるよりも、彼奴を待つ方が早いだろう」

「同意見ですね。タランテラも真に受けなくて良いですよ。ウチは時折無茶振りをしてきますから」

「よし、収まってきた。今度こそ話すからね!」

レプスはこほん、と咳払いを一つし、場が静かになったことを確認すると、今度こそ話を始めた。

 

 

そんなことを続けている少女の部屋にはいつしか大きな本棚が置かれ、その中には人体の急所や痛覚に関するものや、人を直接痛め付ける旧式の拷問に関するものなど、古今東西の選りすぐりの本が並べられていた。

「ふふっ……これ面白かったけど、そろそろ飽きてきたなあ。そろそろ新しい本を買ってもらわなきゃ」

少女が独り言ちて本を閉じたのと同時に、リビングから母の声が聞こえる。どうやら、食事の支度が整ったらしい。

少女は本を棚に片付けると、上機嫌に返事をした。

 

パンを口に運ぼうとした少女はぴたりとその手を止める。

「なんか外、騒がしくない?」

今が休日のお昼時である事を加味しても、窓の外は普段よりも活気があるように感じられたからだ。

「それが、旅の子供達がサーカスを披露してくれるそうよ。私もチケットを貰ったから、皆で行きましょう」

「いいよ、いつ?」

「一週間後よ。予定とか大丈夫なの?その、お友達と遊んだりだとか……」

「んー、わざわざ遊ぶことは無いかな。あいつら話が合わなくてつまんないんだよね」

平然とそう言った少女に、母は困ったように微笑む。

「他所の子にそんな事言っちゃいけません。賢いのは良い事だけど、人を見下すようになっちゃダメよ」

「はーい」

少女は見当違いな言葉に薄笑いを浮かべて返事をした。

 

サーカスというのはどんなものなのだろうか。

見たことも聞いたことも無く、薄ぼんやりとそういうパフォーマンスがあるという事だけを知っていた少女は、食事を終えると家を出た。サーカスの下見に行く為である。

あわよくば予行演習を覗き見できやしないかと期待をしながら、サーカス団が使用するらしい公共施設のホールへと行くと、扉には関係者以外立ち入り禁止の張り紙が張られていた。

少女は勿論関係者では無いが、そんな張り紙に臆する心の持ち主ではない。そして、ここのホールの扉は基本開きっぱなしであることを知っていた。

一足先にお手並み拝見が出来る優越感を抱えながら周囲を見回し、自分が特に注目されていないことを確認すると扉の取っ手を掴み、躊躇なく引く。

しかし。

「あれ、閉まってる?」

扉はガチャン、と金属質の音がするのみで、開かなかった。どうやら施錠されているらしい。

「なんだ、つまんないの」

小さくため息を付き、踵を返す。少女がくるりと後ろを向いたその時、目と鼻の先には大きな魔女帽子の少女が立っていた。

彼女は怪訝そうに短い眉を寄せ、目を鋭く釣り上げると少女に詰め寄る。

「自分誰や?ここで何しとんねん」

少女はぎくりと肩を震わせるが、すぐさま切り返す。

「やだなあ、何もしてないよ」

覗き見は未遂で終わった為“まだ”を付けるのが正しいが、今はその限りではない。

何か言い訳をするか、いっそ逃げてしまうか。それとも。

「……ねえ」

浮かび上がった第三の選択肢。少女はやはり、臆する心の持ち主ではなかった。

おもむろに魔女帽子の彼女の手を掴むと、少女はこう言い放つ。

「サーカスなんて見た事ないからどんな演技するのか想像つかなくってさ。サーカスの話、聞かせてよ!」

 

「ウチはウィッチ・ゼロトリー。このサーカス団の団長や」

「え〜!?その若さで?ちゃんと運営とか出来てるの?」

「今んとこはな」

魔女帽子はウィッチと名乗ると、電子ロックを解除してホールの扉を開ける。すると、サーカスらしい愉快な音楽と共に舞台の上で芸を披露する小動物達の姿が見えた。その傍らにはウィッチと同じ位の年齢の白髪の少年が立っており、ウィッチ達の姿に気が付くと手を振った。

「あの子も団員?」

「おう、シュルって言うねん」

「ふーん、他の団員達は控え室にいるのかな」

少女が周囲を見渡しながらそういうと、ウィッチは目を丸くする。

「いや?これで全員やで」

「……え?」

「このサーカスは二人しかおらん。他の団員はぼちぼち集めてくかってとこや」

「なるほどね……」

少女はサーカスを見た事は無いが、この状態は異例であることは理解出来た。

 

二人は並ぶ客席を横切りながら舞台まで辿り着く。シュルが手懐けている小動物は檻の中に入れられても大人しくしていて、主人が見知らぬ人物に話しかけるのを興味深そうに見ていた。

「ウィッチ、お客さん?」

「おう、ウチらのサーカスが気になるんやって」

「ねぇねぇ!他にどんな演目があるのか見せてよ!」

レプスの言葉にウィッチはニヤリと口角を上げるとステージの脇へと走り去り、少しして八つのジャグリングピンを抱えて戻ってくる。

「今ウチが練習してるんはこれや!」

ウィッチは得意げに四つのピンでジャグリングを披露してみせるが、少女は床に置かれた残りの四つのピンを不思議そうに見ては、「これは使わないの?」と質問をした。

「まだな」

「なんだあ。サーカスって言う程じゃないね!」

「は?」

少女の言葉に、ウィッチは分かりやすく怒りを露わにする。その様子を楽しむように少女はクスクスと笑うと舞台から降り、出口の方へと歩いてゆく。

「つまらなさそうだし、やっぱり見に行くのやめることにするよ」

じゃあね、と手を振ってホールから出ようとする少女に、ウィッチはわなわなと震わせた手を握りしめた。

「……一週間!」

張り上げられたよく通る声に、少女は振り返る。

「一週間で仕上げる。必ず見に来い」

「……考えておくよ」

ホールの扉が閉まる音と同時に、二人きりになったホールにはしんとした空気が流れる。どう声をかけるべきか考えあぐねている様子のシュルが口を開くより先に、ウィッチは鼓舞するように自分自身の両頬を叩いた。

「……絶対ぎゃふんと言わしたる」

 

公演当日。少女はホールの客席に座っていた。

彼女は配られたパンフレットを開き、並ぶ演目の中にジャグリングの文字を見つけると意地が悪そうな笑みを浮かべる。

ここにいる観客達皆はサーカスの演技を楽しみにしているものだが、彼女が楽しみにしているのは、大人数の前で演技を失敗する惨めで情けない姿。二人の澄ました表情が歪む様子であった。

少女のそんな思惑も露知らず、ウィッチは公演前の口上を高らかに述べる。

「皆様お集まり下さりありがとうございます。たった二人のサーカス団、Black widowは只今より公演を開始致します」

よく通る凛とした声に会場内は静まり、皆の視線は舞台の上へ。そこにはスポットライトに照らされたウィッチが立っていた。

シュルが音楽を再生すると、彼女は手に持ったバトントワリング用のバトンを巧みに操りながら踊り始める。鮮やかなパフォーマンスに少女は面食らって、一気に沸き立った観客席の空気に飲まれていった。

ウィッチのパフォーマンスが終わると次はシュルだ。彼が連れて現れた少動物達はそれぞれシュルの指示を聞くように訓練されており、可愛らしく健気な姿も相まって、芸の一つ一つに拍手が行われた。

続いてのジャグリングでは、どんどん増やされるジャグリングピンに困ったような演技をして観客たちに応援させ、見事成功させた時には勿論拍手喝采。その後も少女の期待を裏切るようにして、全くの文句の付けようもないサーカスが行われてゆく。

 

「さあ、いよいよ最後の演目となります。こちら皆様も参加型の演目になっておりますので、是非席をお立ちになり、声を上げてのご参加をお願いします!」

来て良かったような、悪かったような。確かに当初はこれを期待していたが、少女が今欲しいものは違うのである。

してやられたような気持ちで小さく溜息をついた時だった。

「これより始まりますは、我がサーカスの大目玉。

私の魔法で、観客席の皆様をあっという間にあの世送り。種も仕掛けもない、非イリュージョン!すなわち、殺人ショーでございます!」

ウィッチはそう高らかに告げる。

びりびりと体が振動するような声量に目を剥き、観客のうちの誰一人としてその内容を理解できない。

舞台の上のメインキャストたる彼女はニヤリと口角をつり上げると懐から銃を取り出し、逃げようとして思わず立ち上がったのだろう、最前列の中央の男性の頭を撃ち抜いた。

 

パニックを起こした観客達は立ち上がり、我先にと出口へと駆け込むが、電子ロックで施錠された扉はびくともしない。それでも人は押し寄せ、揉み合いになりながら閉ざされた扉を叩き続ける。

扉の軋む音と重なる、生きようと足掻く必死な声。

「私の右手にご注目下さい、こちらはかつて実際に戦争で使われた手榴弾!その威力をどうぞ、ご体感ください」

出口に群がる人々の方向に投げられた手榴弾が作り出す爆風と高速で飛び散る破片に奪われる大量の命。

目の前に転がる首は、苦悶の表情に歪んだ顔を少女に向けるとピタリと止まった。

「落ち着いてくださいお客様。ほおら、深呼吸をお願いします!」

ウィッチはフラッグを手に持つとショックで崩れ落ちていた観客の喉を切り裂く。喉は噴水のように鮮血を吹き出すと、ひゅうひゅうと空気の漏れる呼吸音を出して、死に至らぬ苦しみを与え続ける。

今まで動けずにいた人々はすぐさま立ち上がり爆風で破壊され開けた出口を目指すが、死体の山に足を取られ思うに進めない。そこを狙いフラッグの先端のナイフで肉を刺し貫き、ポールで骨を砕く。

それからも長く続いた殺戮のパフォーマンスは、皆が死に絶えれば終わりを迎える。軽快なジャズが鳴り止み、地獄の中心に佇むウィッチは一礼をした。

 

観客席に一人残った少女は浮ついた頭の赴くままに、見事な殺戮を見せていた演者に拍手を送る。たった今、少女の住む街の住人達、少女の家族達が虐殺されたにも関わらずだ。

歓喜に蕩けた目、薄紅に染まった頬、自然と上がった口角。少女の中を満たすのは、嗜虐心を満たす刺激的な非日常、胸いっぱいの興奮、今までの人生に足りなかったもの全て。

「君達、すごいよ!こんなに沢山の血、悲鳴、苦しみに歪む表情!初めて見たよ、と〜っても綺麗だった!」

そう、彼女は知ってしまった。本物の血、悲鳴、苦しみに歪む表情、それらを引き出す圧倒的な残虐性を。

私もそうなりたい。そんな願いに応えるようにウィッチは手を差し伸べ、少女は迷いなくその手を掴む。

少女のその姿を異常であると糾弾する者は、ここには誰一人いなかった。

 

「そういや名前聞いてへんかったな」

ウィッチの呟いた言葉に、少女は左右で色の違う目を丸くする。

「聞かなくていいよ!……聞かなくていいから、新しい私に名前を付けて欲しいな」

別に名前を言ったって良かった。でも折角ならば、これからのサーカス団としての人生を、憧れの君に貰った名前で始めたくて。

少女は面と向かってそうは言えなかったが、普段のにやにやとした薄笑いではない、満面の笑みが何より物語っていた。

「ウチが?まあええけど。気に入らんくても文句なしやで」

「素敵なの期待してるよ〜」

律儀にも半壊したホールの後片付けをしていたシュルはいつの間にか戻ってきていたらしい。話を聞いていたらしく、不機嫌そうに眉を寄せたまま二人の間に割って入った。

「ちょっと。プレッシャーかけられたら思い付くものも思いつかないでしょ」

「え?急に出しゃばってきてどうしたの?もしかして、構って貰えなくて寂しくなったのかな?お子ちゃまだなあ君は〜!」

「はぁ?何を……」

少女の言葉にシュルは青筋を立て、今にも掴みかからん勢いで睨みつける。そんな彼に少女は面白がるように挑発の言葉を投げ続けるものだから、とうとう殴り合いに発展するかと思われた、その時だった。

「あ」

「お。思いついたかい?」

俯いてうんうんと悩み続けていたウィッチが顔を上げ、少女は期待の表情を浮かべて次の言葉を待つ。

「う     、ァ」

しかし、ウィッチの瞳がぐるりと天を向いたかと思えば、そのまま体勢を崩し、ゴツン、と痛々しい打撃音と共に頭から床に倒れ込む。

「えっ?ウチ?」

「ウィッチ……!?」

「……冗談でしょ?ねぇ!」

お願い、冗談だと言って。やっとなりたい私を見つけられたと思ったのに、それを教えてくれた君が居なくなるなんてあんまりだ。

少女はモヤがかかり、ゆらゆらと揺らめく視界を気にも留めず、ウィッチの顔を覗き込む。

僅かに瞼の下のマリアライトを覗かせ、力なく微笑む彼女の顔に、ぽたりと雫が垂れる。それは、少女の涙だった。

少女はそれに気がつくと袖でごしごしと目を擦り、再びウィッチの方へと目を向ける。

「レプス。レプスでどうや……?ヒヒ、ぴったりやわ……」

赤い目をした、自由奔放な振る舞いが持ち味の、愛らしい野うさぎ。

彼女はそう呟いて、瞼を閉じた。

 

 

「いやあ、ウチったらそう言って倒れたきりず〜っと目を覚まさなくてさ。剤の所に向かうまであれこれ試したものだよね。話が逸れたけど、まあそうやって私はサーカス団員のレプスになった訳だよ。一緒に来てた家族も殺されちゃったし、責任取ってもらわなきゃね〜」

な〜んて、ここに居たいだけの方便だよ。家族なんて何となく一緒に居ただけの人達だし。あはは、ずっと一緒に居たのにあんなにいい表情を隠してたなんて、知らなかったよ!

 

「私はレプス。拷問ショーもお手の物さ!」

あのサーカスを知ってしまえば、もう本で気を紛らわしていた頃には戻れないよ。