右手に火傷跡のある白衣の女性。旧アジアに流れる噂では彼女は見返りを求めず、その確かな医療技術で様々な村を救ってきたという。
彼女の元に訪れる患者は皆蜘蛛の糸にも縋る思いで門を叩き、慈悲深く差し伸べられる神の手に涙を流すのである。
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「当時の衣装、懐かしいなあ〜。あの時は色合い黒と赤で統一してたんやっけ」
ウィッチが懐かしむようにそう言うとデリックがすかさず目を輝かせる。
「もしかしてBlack widowって名前に合わせて初期の衣装を作っていたのかい?」
彼が思い浮かべているのはこのサーカス団の名前である黒と赤の毒蜘蛛と、そのモチーフの衣装を纏ってのサーカスだ。
「名前が先か衣装が先かは覚えてへんなあ。ウチのことやし、当時安価に手に入ったのがその色やったとかちゃう?」
「あーあ、その時に僕が居たらどんな布でも沢山用意してあげれたのにね!」
肩を竦めたP.N.Gの背後にオッドアイの瞳が光る。
「それじゃあ今から君の血で染めた布を用意してもらおうかな〜?」
「ひっ……!?た、助け……!」
加虐と被虐、二人のこうしたやり取りはもはや恒例。このサーカス団ではもう見慣れたものだ。
「口は残せよ。彼奴にはまだ喋ってもらわねばならん」
クイーンビーの薄ら愉悦の交じった声色と細められた瞳に味方が居ないことを悟ったP.N.Gは急いでパスを投げる。
「剤が喋ってるうちに逃げ出すしかない……!あーっ、剤がとっても長い話を話したいみたい!」
皆の視線が剤のほうへと向き、その隙にP.N.Gはレプスから距離を取る。
「ありがとうございますP.N.G、それでは話させて頂きますね」
彼女は褒めて褒めてとこちらに視線を向けるP.N.Gに少し微笑ましさを感じつつ礼を言い、緩んだ頬を引き締めると話し始めた。
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「ただの心不全ではありませんね」
肌は陶器のように滑らかで白く、丸く小さな輪郭の中でぱっちりとした大きな瞳が目立つ。そんな人形のような顔立ちの女性は、一人の患者の聴診を終えるとそう言った。
「次は足を少し触ってもよろしいですか?」
「はい……」
患者は軽く咳き込むとズボンの裾を捲り靴を脱ぎ、女性が用意した椅子の上に乗せた。
女性が注目したのは、彼が訴える足背から膝下までの浮腫。指先で押した皮膚は圧痕を残し、アセスメントスケールにして中等の判断基準を満たす程度にむくみが生じていた。
両胸に胸水が溜まっている事も加味したこの村のの医師は、彼を心不全と判断し血管拡張作用のある薬を処方したものの、一向に効く気配は無くそのまま症状は悪化して今では酷い咳で呼吸困難に陥る事もあるそうだ。また、彼の近くにいた者が同様の症状を見せたことから村人達は彼を隔離するべきだと考え始め、今では彼は家を追い出され村外れの納屋に押し込まれている。
「先生、僕の病気は治るのでしょうか……?ここの医者もお手上げだし、この村は働けない人を養える程裕福じゃない。きっと次の口減らしで、僕は……ッ!」
患者は震えた手で服の裾を握り締め、今にも泣きそうな表情で縋るように女性へと問いかける。そして、女性は彼を真っ直ぐ見つめ、安心させるように微笑むとこう答えた。
「治りますよ」
彼女はそれを確信している。なぜなら。
「特にむくみと呼吸困難、そして周囲の人々への伝染性から判断すると、これは心不全ではなく、細菌性の感染症である可能性が高いです。私は以前、このような症例を扱ったことがありますからその時と同じ治療法を試してみましょうか」
火傷跡の残る右手。医療従事者の証たる白衣。
「まずは適切な抗生物質を処方します。それに加えて、栄養のある食事と安静を心がけましょう」
彼女こそが、この世に蔓延る病を絶つ希望の光。人々の救世主であるからだ。
「ありがとうございます、ありがとうございますッ!どのようにお礼をしたら良いことか……!」
働き手を失いつつあった村の人々は涙ながらに女性に感謝を述べる。女性の正確な診断と投薬治療により、同じ症状の者も皆元気を取り戻しこの村は壊滅を免れたのだ。
「医師として当然の事をしたまでです。他に診察を受けたい方はいらっしゃいませんか?」
しかし、彼女は見返りを求めることはなく、慈悲深く微笑む。その姿に思わず人々は息を呑み、神や御仏にするように頭を下げて再び感謝を口にした、その時だった。
突如診療所の扉が開かれる。
「お医者様がいるってのはここ!?お願い、ウィッチを助けて!」
そう息を切らして懇願するのはオッドアイの少女で、その後ろに続くのは魔女帽子の少女をおぶった白髪の少年。
突然の事に慌てふためき、村人達は子供達を追い出そうとする。
しかし。
「私は医師の剤です。彼の背中にいる少女が患者ですね。すぐに診察を始めましょう」
彼女は救うべき命を見定めたようにそう言うと、子供達をすぐに診察室へと案内した。
「昏睡状態……ですか」
「公演が終わったと思ったらいきなり倒れちゃって、それから目を覚ましていないんだ」
「問診として以前からの彼女についてお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「前からたまに頭が痛いって言って横になることがあったくらい……?」
「……なるほど」
白髪の少年はシュル、オッドアイの少女はレプスというそうで、患者であるウィッチとは共に旅をする関係性だと言った。
剤はウィッチの呼吸に心音、体温を確認しながらベッドに寝かせる。その時に、彼女がある特徴的な体位を取っていることに気がついた。
「除脳硬直……!脳に異常がありますね。しかし、この村にはCT検査を受けられるような設備は無い」
それでも、彼女は諦めることは無い。
先程シュルは公演と言った。ならば、その最中に脳に何かしらの損傷を受けた可能性がある。そう考えて中脳や橋の近い後頭部に焦点を搾って慎重に診察をするが、それらしき傷は見当たらない。
「瞳孔を確認しましょう」
次に剤が確認したのは瞳孔だった。薄茶色の睫毛が縁取る瞼を開かせ、瞳孔の反応を左右共に確認すると、左側の瞳孔のみが光を当てても散大したまま。これを見た剤は、改めてウィッチの頭部を診察し直す。すると、髪に隠れた左の頭部に銃創を発見した。
そのような場面に陥るような地域にまともな医者が少ないこともあり、頭に銃弾を受けて生き残った事例は極めて珍しい。多くの村を渡り歩いてきた剤でさえ初めて見た事例だ。
頭に銃弾を受けた当時ならともかく、今高次脳機能障害の後遺症で意識障害になるとは考えにくい。と、いうことは。
「……彼女は適切な手術を受けられなかったが為に、脳損傷による出血や腫れが続き、脳圧が上昇。その結果、昏睡状態に陥った……となれば、必要なのは外科的な減圧手術や投薬による脳圧管理です」
剤は診察の様子を心配そうに見ていたシュルやレプスに向き直る。
「彼女の命を救うには一刻を争います。直ぐに手術を行いますが、構いませんね」
二人は顔を見合せると、頷いた。
病室の白いカーテンの隙間から暖かい陽光が差し込み朝を知らせる。意識を失っていたウィッチがそんな景色を見たのは何日ぶりだろうか。靄がかかったような頭は少女に思考や行動を許さず、暫く窓の外を見ていた、そんな時、ノックの音に意識は急速に浮上する。
「おはようございます、ウィッチさん。公演後に昏睡状態に陥った貴方の処置を行いました、医師の剤と申します。お体の調子は如何でしょうか?」
聞きたいことを全て先に言われたウィッチは「おお」と力なく相槌を零すと、頭に巻かれた包帯に手を添える。
「ぼちぼちやなあ」
「そうですか」
剤はほっとした表情を一瞬浮かべるが、すぐに真剣な顔つきに戻った。
「少しずつで構いません。お話しできる範囲で教えてください。公演中に何か異変を感じたり、痛みがあったりしましたか?」
ウィッチは記憶を探るように眉をひそめ、しばらく考え込む。しかし、彼女の頭の中には何も残っていなかったようで、静かに首を振った。
「……あかん。なんも覚えてへんわ、最近ウチ忘れっぽいねん」
「それはいつからですか?」
「うーん……頭を撃たれてから?」
「他に、気が散りやすかったり、感情的、衝動的になってしまったり等の症状はありませんか?」
剤の言葉にウィッチは驚いたように目を見張ると愉快そうに笑い始める。
「なんや自分エスパーか?イヒヒッ、おもろい特技やなあ!そうそう、なんが上手くいかんくてイライラするんよなあ」
「……ああ、お可哀想に、自分自身でも理不尽な怒りに苛まれてさぞお辛いでしょう。私が貴方を救って差し上げますね」
剤はデスクの引き出しから瓶をひとつ取り出す。それは瓶の中身である、この世に流通するどんな薬剤にも勝る万能薬を彼女に処方する為に。
彼女は確かに多くの村を救ってきた。しかし、彼女にとっての救いとは、傷を癒し、病を治す事ではない。
彼女の言う救いとは、人としての生を終えた上で魂の依代である肉体の消滅させて、安息の地へ。天上へと向かう事であり、瓶の中身はただの油。殺して肉体を燃やし、煙で天への道を示す。それは彼女にとっての立派な医療行為であった。
「なあ、このへんに知れた噂を知っとるか?」
「右手に火傷を追った白衣の女性の話ですか?それなら……」
「いいや、旧アジア領の辺りではある日突然なんの前触れもなく、あったはずの村が焼け失せるって噂や」
剤の瓶の蓋に伸ばされた手がピタリと止まる。
「まあこの話は後にするとしてなあ。ウチはサーカスをやっとるんやけど、まだウチ含めて四人しかおらんねん。サーカスやのにて思ったやろ?それが、ウチはあの人らみたいに選りすぐりの団員を集めたいっちゅう思いがあってな」
「……?はあ」
「ああ、もしかしてお医者さん、サーカス観た事ないんか?気に入ると思うで」
突然何を言い始めるかと思ったが、私は医師であり、患者の言うことはいくら支離滅裂でも聞いてやるのが道理である。そう考えた剤は、彼女に差し出されたビデオプレーヤーの再生ボタンを押した。
画面の向こうにあったのは、毒蛇をトレードマークとしたサーカス団の姿。彼らは華やかな衣装に身を包み、殺人の演目を披露することで大量の魂を天上へと導いていた。
きっと何度も練習を重ねてきたのだろう。趣向を凝らしたパフォーマンスを行いながらの近接攻撃や飛び道具、爆発物を用いた殺戮は思わず魅入ってしまう程に美しい。そして、彼らの圧倒する美と大規模な殺戮を行える程の力は、それが正しいことであると錯覚させるような魅力があった。
気がつけば剤の無機質な表情は崩れ、大粒の涙が溢れて止まらない。
「………私はこの仕事に誇りを持っておりましたが、世界には、このような救い方があったのですね。私は世間を知りませんでした、皆様をこのように美しく救ってあげられたかもしれないのになんてこと………」
今までずっと、最上の救済を与えてきたつもりだった。村の人々にも、両親にも。それが剤の異常な善意で愛で、献身であったから。
彼女の顔を覆った両手の隙間からは涙が伝い、白衣の袖を濡らす。
「素晴らしいものを見せていただきありがとうございます、………私にもこのように美しい救い方ができる、でしょうか?」
顔を上げてウィッチの方を見ると、彼女はニヤリと笑う。
「真っ白な長い髪、涙を落としながらも燃える瞳、すらっとした身体、自分みたいな別嬪さんやったら大歓迎や。ウチらについて来たいんやろ?ようこそ、Black widowへ」
「綺麗、は、言われたことがなかったですね。難しい観点ですが、お眼鏡にかなうようで良かった」
「改めまして、私は剤と申します。できうる限り多くの人々を生から救う事が私の目的。そして私が貴方に提供できるものは、同じ志と……貴方を生かし続ける技術です」
「ウィッチ・ゼロトリー。サーカスに魅せられた熱狂の魔女。ウチって呼んでええで。よろしくなあ、剤」
「ええ、よろしくお願いしますウチ」
ウィッチが差し伸べた右手を剤もまた右手で取る。握手を交わし晴れてサーカス団の仲間となった。そこで、ウィッチは剤の右手をしげしげと見つめると自身が着用していた赤の手袋を脱いで剤に渡す。
「ただ、その手の火傷は隠した方がええわ。舞台に立つなら爪の先まで美しくあれ、やで」
剤は手袋を、次に自分の右手の火傷跡を見た。この火傷跡は父の愛。共に救われようとしてくれた立派な親子の絆の証。しばしの間沈黙と静止をしていたが、やがてその手袋を受け取った。
「………ええ、世間一般の尺度ではこれは醜いもの、なのでしょうね。ウチが言うのならば隠しましょう、このサーカスの主人は貴方ですから」
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「こうして私はBlack widowの医師になりました。村での公演を終えると、ウチの脳圧を下げる手術の為にもすぐに医療技術の整った場所への移動を始めましたね」
その時の公演では初めて誰かと共に人を天上へと送りました。ウチ達とは目的も理由も意思も違いましたが、仲間が居るというのも良いものだと感じたのを覚えています。
「私は剤、皆様に治療を行う医師でございます」
より多くの患者を救い、仲間と美しい舞台を作り上げ、哀れな子供に寄り添う。なんと素晴らしく、正しい行いなのでしょう。
