遅刻に成績不振、あるいは備品の破損。些細なミスの積み重ねで出来た悪い心当たりの一つ一つに言い訳をしながら決心を固め、教官室の扉をノックする。
窓の外の羽ばたく鳥の群れに、どうか自分も混ぜて貰えやしないだろうかと願った。
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「ボクちゃんと言えたよー!ね、ね!デリックせんせえ!」
「わかっているともタントくん。ご褒美だね?」
タントはデリックから麻薬入りのキャンディを受け取り、口に放り込むと満面の笑みを浮かべた。
「ぱちぱちしゅわしゅわだ!」
「お、気に入ってくれたかい?まだまだあるから欲しくなったら言ってね!」
ぴょんぴょんと跳ねては、ぐるぐると回る。身体中で喜びを表現するタントの微笑ましさに皆の表情が緩む。その中で、一人浮かない顔をしているのはP.N.Gだった。
視線を彷徨わせ、指を何度も組みなおし、浅い呼吸を繰り返しながら自分の弱みをさらけ出さずに済む理由を探していた。しかし。
「楽しみだな〜、君の過去。一体どんなに情けない話なんだろうね?」
弱い自分を肯定する女が居る。見つかったのは一歩踏み出す理由だった。
「……しっかたないな〜!?そんなに聞きたいなら話してあげよう!はい、皆注目〜!お兄さんが話すよ!」
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「失礼しました……」
何時間が経過したのだろうか。
ようやく長い叱責から開放された彼は、静かに、大きくため息をつくと足早にその場を立ち去った。
立ちっぱなしで疲れた足をすぐに癒したい気持ちは山々だ。しかし、教官室の前でしゃがみ込んでいる所を誰かに見られたとしよう。悪い理由で呼び出された事は明白で、それが知れ渡る事は何がなんでも避けたかった。
彼は廊下を進む足音を極力静かに、まるで何事もなかったかのように響かせる。一歩進む度に教官室での叱責の言葉が頭の中を反響し、胸は重く沈む。
軍人となる者として自覚を持て。チーム全体に影響を及ぼす行動は慎め。もし次があれば。
そんな暗黙の警告の先に何があるかなんて、考えたくもなかった。
規律に縛られる生活、訓練で消耗する日々に精一杯で、もはやどこにも努力する余地なんて残ってはいないと感じるのは、ただの甘えだろうか。
そんな疑問を抱えながら歩いていると、目の前には見慣れた親友の姿があった。
「おーい、ペンティ!お前宛ての手紙、また届いてたぞ。机の上に置いておいたからな!」
入学早々から気が合う彼とはいつの間にか大きな実力の差が開いていた。
「おっ、ありがとう!えへへ、皆僕の事大好きで困っちゃうなぁ〜」
今は、彼の顔を見たくない。笑顔を浮かべて肩をすくめると、彼を振り切るようにして寮の私室へと向かった。
こんな時こそ、家族からの手紙を読んで自分を思い出そう。僕はペンティ・ノイ・グロスクロイツ。家族代々軍人一家の、街一番の期待の星であると。
そうして自分を奮い立たせる度に、虚しくなるのはいつからだろうか。
寮の廊下には人集りが出来ていて、その中央には張り紙がされていた。大きく見えた部隊評価の字に、呼吸が狭まり、体が冷たくなる。
今すぐここを立ち去りたい。それでも体が動かず、浅い呼吸を繰り返しながら最下位に刻まれた自分達の名前を見ていた。
肩の衝撃にぐらり、と体が傾く。そちらを見れば、同じ部隊の訓練生がペンティを睨み付けていた。
「……あのさあ、ペンティ」
殺気立ったような低い声に、心臓が早鐘を打つ。
「あ、ご、ごめ……」
「出来損ないなのは自由だけど、俺達の成績まで下げられんのはおかしいだろ?なあ?」
ペンティは目を逸らしながら、喉元に言葉が詰まるのを感じていた。反論する余裕も、反論する材料も、何もない。ただ、訓練生の怒りの矛先が自分に向けられるのを耐えるしかなかった。
「お前のせいで俺たちの評価が最下位だって知ってるか?お前がどれだけ足を引っ張ってるか、少しは自覚しろよ!」
敵意を持った視線と声が突き刺さる。近くにいた他の訓練生たちも、小声で何かを囁き合っているのが分かった。
「……そんなつもりは……」
絞り出した声はあまりにも弱々しく、訓練生の怒りを和らげるどころか更に火に油を注ぐ。
「そんなつもりじゃねえなら、なおさらたちが悪いんだよ!お前、何でここにいるんだ?」
言葉が喉元に絡みつき、何も言い返せない。拳を握りしめるが、その震えを止めることはできなかった。
「……次の評価で結果が出なかったら、お前が部隊を去ることを教官に提案する。これ以上、お前のせいで足を引っ張られるのはごめんだ」
そう言い捨てると訓練生は立ち去り、他の訓練生達も気まずそうにその場を後にする。
一人残されたペンティは暫しその場に立ち尽くしていたが、やがて部屋に戻って行った。
机の上に置かれていた家族からの手紙は読む気になれなかった。そこに綴られている期待と激励の言葉に応えられない現実が、どうしようもなく惨めで、受け入れられなかったから。
窓の外を見ると日が沈みかけている。手を伸ばしても、あの茜色に飛び立てる未来は見えない。
そのままぼんやりと空を眺めていると、不意に部屋の扉が軽くノックされた。
「ペンティ、いるか?」
親友の声にペンティは一瞬返事をためらったが、静かに扉を開けた。
扉の向こうには親友とその後ろにいつもの仲間たちの姿がある。彼らの表情はどこか柔らかく、ペンティの沈んだ気持ちを知っているのか、それとも気づかないふりをしているのかは分からない。
「お前、今から暇だろ?」
彼は勝手知ったる様子で部屋に上がり込みながら、軽い口調で言う。
「暇って……なんで?どうしたの?」
「お前が訓練の後で自分の部屋に籠るのはいつものことだろ?まあ、そんなことはどうでもいいんだが」
そう言って、親友が目を輝かせる。
「サーカスが来てるんだよ!街外れの広場でさ」
「サーカス?」
「そうだ。なんでもダンスや動物の演技、空中ブランコがすごいって評判らしい。俺たちもたまには息抜きが必要だろ?お前も来いよ」
親友の明るい声に続いて、他の仲間たちも口々に誘いかける。
教官からの叱責の言葉や、訓練生たちの怒りが頭を過ぎる。しかし、このまま部屋に閉じ篭っていても、自分を追い詰めるばかりなのは目に見えていた。少しでも、気を紛らわせるならば。
「……分かった。行くよ」
そう呟くと、親友達は一斉に笑顔を浮かべ、ペンティの肩を叩いた。
「よし、それでこそ俺たちのペンティだ!じゃあ行こうぜ、日が暮れる前に席を確保しなきゃな」
夕闇に包まれ始めた空の下、街外れの広場には紫や緑のテントが建ち並び、華やかな音楽が響いていた。観客のざわめき、灯りに照らされた演者たちの鮮やかな衣装。それらのすべてが軍官学校での日々とはかけ離れた光景で、ペンティの目を奪った。
「わ〜!本当にサーカスが来てるんだね」
思わず漏れた声を掻き消すように、親友が軽快な声で笑う。
「だろ?こんなの見るの、久しぶりだろうしな。ほら、席に着こうぜ。そろそろ始まるみたいだ」
彼らは観客席に腰を下ろした。広場の中央には大きな円形の舞台があり、その周囲を囲むように椅子が並べられている。舞台の上では、演者たちが次々と登場し、息を呑むような演技を繰り広げていた。どれも驚くべき技術と迫力で、ペンティの目は釘付けになった。
だが、ふとした瞬間に胸の奥から沸き上がるのは、羨望と違和感だった。
どうして彼らはこんなに自由なんだ、と。
軍官学校で規律と期待に縛られ続けてきたペンティにとって、サーカスの演者たちがまるで別世界の住人のように思えた。彼らの笑顔や楽しげな動きは、本当に心からのものなのだろうか。それとも演技なのだろうか。
「お前、何か考え込んでる?」
親友の声にペンティははっとして顔を上げる。
「えっ、いや……ただ見惚れてただけだよ」
「だろう?こういうの、軍官学校じゃまず見られないからな。たまにはこういうのもいいだろ?」
その言葉に、ペンティは曖昧に笑みを返した。確かに、日常とはまるで違う世界だ。
全くかけ離れていた。
嫌いだった。なにもかも嫌だった。自分が花道から外れるだなんて有り得ない。有り得てはならなかった。
自分の立つはずだった場所に立つ親友が憎らしくて、サーカス団の虐殺ショーに彼が選ばれた時から卑しく醜い、ドロドロとした黒い感情が頭の中に渦巻いていた。
それは舞台の上に立つ彼が追い詰められる度に、やがて大きくなって体を支配し、そして。
「目が覚めたか?」
頭上から聞こえた少女の声にペンティは急いで身を起こす。その時べっとりと体中を濡らす夥しい量の血液と肉の感触に気が付いて、下を見るとそこには見慣れた軍服を着た死体が積み重なっていた。
「君……さっき見たぞ…サーカスの人……」
「そうや。自分、このサーカスに興味あるやろ?あるやんなあ、ええやん、そういう奴探しとったんよ」
少女は不気味な笑顔を浮かべると、死体の山を躊躇なく踏み付けながらペンティに詰め寄る。
「き、興味!?そっか……興味ある、のかな。僕こんなパッとしないし……イキイキしてる君たち見ていいなっては思ったよ」
サーカス団にしては少人数であるが、その分一人一人の見せ場が多く用意されており、また、誰もが楽しそうに舞台に立っているように見えた。
例え殺戮ショーの演目が始まっても。
「あ……それに僕、初めてアイツに勝っ……ぁ……ヒッ……こ、殺、した?」
殺した。自分が、彼を殺したのだ。
サーカス団との戦闘の最中、自分の真横に飛んできたナイフを掴み、彼に投げ。彼の急所に当てて、殺したのは、自分だ。
恐怖に声が震え、混乱に頭は上手く働かず、自分の口が何を言っているのかも分からない。
けれどその一方で、自然と上がる口角は抑えきれなかった。
「そう、その高揚。実にウチのサーカス団に相応しいやんか!イヒヒッ、自分で自分の顔見てみい?きっとウチらと同じ顔しとるよ」
自分の姿を見るのも億劫な日々が続いていたが、なんだか今は気持ちがすっきりしていた。
彼女から手鏡を受け取って顔を写すと、数ヶ月も前だろうか。最後に見た死人のような顔とは比べ物にならないくらい晴れやかで、不気味な笑みを作る自分の顔がそこにはあった。
恐怖とも安堵とも異なる、説明のつかない奇妙な興奮が胸を埋めつくし、ペンティは糸が切れたように笑い始める。
「ひーっ……ゲホッ、ゲホ、久々にこんなに笑った!これが僕……?なんてベタなセリフはいっか」
今になって振り返れば、軍官学校の訓練生として過ごした月日は空虚だった。毎日の訓練、評価、叱責、期待。そして、そのどれにも応えられない自分。全てが重荷だった。
だが、この瞬間。自分を縛り付けていたもの全てが解けたような、初めて心が自由になった心地がした。
「困ったな、僕人殺したのに、人の死体の上にいるのにこんなに笑ってる。こんなに気持ちがいいなんて。……僕、生まれてきてから今までで一番心震えてるよ」
鮮やかな茜色に染まった手を握りしめると、固く握り締める。家族の期待を背負い、軍官学校に入ると決めたあの日の事は、まるでガラス越しの景色のように思えた。
「……クセなりそうだ。ねぇ……もう一回したい。また震わせたい……!今度は一番いい、僕にしかできない最高を見せてあげるからさ!」
そう言って彼は立ち上がると、仲間達を踏みつけながら少女の元へと歩み寄る。
「勿論。うんと楽しませてもらうで」
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「これが僕の辿ったシンデレラロード!あとは知っての通り、Black widowで人気のナイフ投げに大変身。いやあ、僕みたいな才能ある人をスカウト出来て君達幸せ者だね!」
此処でなら才能を発揮出来る。此処でなら一番になれる。此処でなら人より優位に立てる、自尊心を守れる。
僕なりの羽ばたき方を見つけた。それだけなのに、僕の内側で家の恥だと罵る声が聞こえるんだ。
「僕の名前はP.N.G。愛称はペンでいいだろう!」
惨めな灰被りになんて、戻りたくない。
